善無畏
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(輸波迦羅から転送)
善無畏(ぜんむい、梵: Śubhakarasiṃha、シュバカラシンハ、637年 - 735年11月25日(開元23年11月7日))は、インド・摩伽陀国の国王、訳経僧である[1]。輸波迦羅(しゅばから)とも表記される[1]。
経歴
[編集]- 637年、中部インドの貴族家庭に生まれる。幼年より神童と称され、摩伽陀国の国王となる。兄たちの反乱を平定した後、出家[1]、ナーランダー僧院にて達磨笈多(だるまきくた、ダルマグプタ)に師事し、彼から密教を学ぶ[1]。
- 716年、玄宗統治下の唐・長安に赴く。『虚空蔵求聞持法』、『大毘遮那経(大日経)』などを漢訳する。
- 同時代の人物には金剛智、不空、一行、恵果等がいる。中国密教では三蔵法師の一人でもある事から「善無畏三蔵」と尊称し、日本の真言宗でも「真言八祖」とは別の系統である、「伝持の八祖」では第五祖に配される。
訳経
[編集]著作
[編集]日本渡来伝説
[編集]六国史などの公的な記録には無いが、
- (年月不詳)布教のために来日した善無畏が、糟屋郡篠栗町若杉山の道中にグーズ(大亀)に出会い山頂まで運んでもらう。善無畏は感謝して八大龍王の儀式を行なうとグーズは岩と化した。これが現在グーズ岩と呼ばれる大岩として残存しているという[2]。
- 717年(養老元年)京丹後市の縁城寺に千手観音像を安置した[3]。
- 718年(養老2年)南砺市の安居寺を開く。後に行基が伽藍を造営した[3]。
- 718年(養老2年)橿原市の久米寺に仏舎利と大日経を納め宝塔を建立した[3]。
- 720年(養老4年)横浜市の後に弘明寺となる地に結界を張って浄域とした。後に行基が伽藍を造営した[3]。
などの伝説が各地に残る。
脚注
[編集]- ^ a b c d 小野塚幾澄、「善無畏」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館。
- ^ ささぐり紀行PDF版 - 篠栗町 歴史民俗資料室
- ^ a b c d 弘明寺って西遊記の三蔵法師が建てたって本当? はまれぽ.com