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近岡理三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

近岡 理三郎(ちかおか りさぶろう、1871年9月9日(明治4年7月25日[1][2]) - 1948年(昭和23年)3月4日[2][3])は、明治から昭和時代の政治家実業家貴族院多額納税者議員山形県最上郡金山村長。幼名は栄次郎[1]

経歴

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山形県最上郡、のちの金山村大字飛森[2](現金山町)出身[1]。先代近岡理三郎、ツルの長男として生まれる[1][2]。1885年(明治18年)最上郡金山小学校を卒業[2]1904年(明治37年)10月に家督を相続し幼名を改める[1]。農業を営む[4]

1898年(明治31年)以降、金山村学務委員、同村会議員、同助役、最上郡会議員、同議長、山形県会議員(5期[2])、同参事会員、金山村長、山形地方森林会議員、同県治水会副会長などを歴任した[2][3]。ほか、新庄銀行[注 1]取締役を務めた[1][4]。1924年(大正13年)財団法人近岡表慶会を設立して育英事業を行った[2]

1919年(大正8年)10月には補欠選挙で山形県多額納税者として貴族院議員に互選され[5]、同月4日から[5][6]1925年(大正14年)9月28日まで1期務めた[3]

親族

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  • 子息 近岡忠次郎(山形県会議員)[2]
  • 四弟 近岡卯吉(山形県会議員)[2]
  • 末弟 近岡理吉(山形県会議員)[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 荘内銀行の前身行のひとつ。

出典

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  1. ^ a b c d e f 人事興信所 1915, ち4頁.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『山形県議会歴代議員名鑑』360-361頁。
  3. ^ a b c 衆議院、参議院 1960, 203頁.
  4. ^ a b 人事興信所 1928, チ7頁.
  5. ^ a b 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、28頁
  6. ^ 『官報』第2152号、大正8年10月6日。

参考文献

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