近岡理三郎
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近岡 理三郎(ちかおか りさぶろう、1871年9月9日(明治4年7月25日[1][2]) - 1948年(昭和23年)3月4日[2][3])は、明治から昭和時代の政治家。実業家。貴族院多額納税者議員、山形県最上郡金山村長。幼名は栄次郎[1]。
経歴
[編集]山形県最上郡、のちの金山村大字飛森[2](現金山町)出身[1]。先代近岡理三郎、ツルの長男として生まれる[1][2]。1885年(明治18年)最上郡金山小学校を卒業[2]。1904年(明治37年)10月に家督を相続し幼名を改める[1]。農業を営む[4]。
1898年(明治31年)以降、金山村学務委員、同村会議員、同助役、最上郡会議員、同議長、山形県会議員(5期[2])、同参事会員、金山村長、山形地方森林会議員、同県治水会副会長などを歴任した[2][3]。ほか、新庄銀行[注 1]取締役を務めた[1][4]。1924年(大正13年)財団法人近岡表慶会を設立して育英事業を行った[2]。
1919年(大正8年)10月には補欠選挙で山形県多額納税者として貴族院議員に互選され[5]、同月4日から[5][6]1925年(大正14年)9月28日まで1期務めた[3]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『山形県議会歴代議員名鑑』山形県議会、1973年。