迫井正深
迫井 正深 さこい まさみ | |
---|---|
厚生労働省より公開された肖像写真 | |
生年月日 | 1962年10月31日(62歳)[1] |
出生地 | 日本・広島県広島市[1][2] |
出身校 | 東京大学 |
称号 |
医学士(東京大学) 公衆衛生修士(ハーバード大学公衆衛生大学院) |
内閣感染症危機管理統括庁内閣感染症危機管理対策官 | |
在任期間 | 2023年9月1日[3] - 現職 |
在任期間 | 2023年7月4日[4][5] - 現職 |
内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室長 | |
在任期間 | 2021年10月1日[6] - 2023年7月4日 |
在任期間 | 2021年9月14日[7] - 2021年10月1日 |
在任期間 | 2020年8月7日[8] - 2021年9月14日 |
迫井 正深(さこい まさみ、1962年〈昭和37年〉10月31日[1] - )は、日本の医師、厚生労働技官。
来歴
[編集]広島県広島市出身[1][2]。広島大学附属中学校・高等学校を経て[9]、1989年(平成元年)3月、東京大学医学部医学科を卒業[1][10]。
卒業後、東京大学医学部附属病院、虎の門病院、共立蒲原総合病院で消化器外科の臨床を経て[1][2][10]、1992年(平成4年)4月、厚生省に入省し、保険局医療課医療指導監査室に配属[1]。
環境庁企画調整局環境保健部保健企画課特殊疾病対策室医療専門官、厚生省大臣官房厚生科学課課長補佐を務めたのち[1]、1995年(平成7年)から2年間、ハーバード大学公衆衛生大学院に留学し[2]、公衆衛生修士を取得[10]。
その後、労働省労働基準局安全衛生部労働衛生課中央労働衛生専門官、厚生省保険局医療課課長補佐、厚生労働省大臣官房国際課課長補佐、厚生労働省大臣官房厚生科学課課長補佐、同課健康危機管理官、がん対策推進本部事務局次長、広島県福祉保健部長、広島県健康福祉局長、厚生労働省大臣官房総務課企画官、老健局老人保健課長、医政局地域医療計画課長、保険局医療課長、厚生労働省大臣官房審議官(医政・医薬品等産業振興・精神保健医療・災害対策担当)を歴任[1][2]。診療報酬や介護報酬の改定、DPCの導入に向けた日本版DRG・PPSの試行、地域医療構想、熊本地震の対応などに携わった[11]。
2020年(令和2年)8月7日、厚生労働省医政局長兼死因究明等推進本部事務局長に就任[8]。約6年ぶりに医師免許を持つ医系技官が医政局長に就任した[12]。
2021年(令和3年)9月14日、内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室次長に就任[7]。同年10月1日、内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室長に昇格[6]。
2023年(令和5年)7月4日、医系技官トップの医務技監に就任[4][5]。同年9月1日、内閣感染症危機管理統括庁内閣感染症危機管理対策官に就任[3]。
医師として
[編集]外科医に憧れて東京大学医学部に進学した迫井は、大学卒業後、東京大学医学部附属病院で研修医として勤務した[13]。仕事の大半は病棟での指示出しの写し書きやカルテ書きの雑用で、当初は尊敬する指導医や仲間に囲まれ、充実した日々を送っていたが、連日続く指示書の写経に嫌気がさすようになり、高校時代からコンピュータオタクだったこともあってPCの活用を主張し、自席の足元に当時は稀だった自前のPCとプリンターを置き、プリント処理するようになると、当時の指導医から酷評を受け、それでも意味のある仕事をしたいと主張した結果、「言うことを聞かないヤツ」と不興を買った[13]。この経験が「今日の働き方改革に通じる」と、インタビューで語っている[13]。
翌年からは静岡県の共立蒲原総合病院で勤務したものの、やることなす事が同僚の医師や看護師たちに批判され、辛い日々が続いた[13]。そんな折、嘔吐による食道破裂で搬送された夜行バスの40代の乗客の緊急手術を施し、その後患者は縦隔炎を併発し、迫井は連日連夜に渡って治療に奮闘した[13]。その中で同僚達と様々な思いを共有し、それを機に充実した外科研修となった[13]。また、この経験によって「ひたむきさ・粘り強さこそが医療の基盤であると身に染みた」と述懐している[13]。その後も外傷性肝破裂を負った小学1年生の男児を救命するなどし、多くの患者を見送った[13]。その後、厚生省への転職が決まり、臨床を離れた[13]。
年譜
[編集]- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)6月 - 共立蒲原総合病院[1]
- 1992年(平成4年)4月 - 保険局医療課医療指導監査室[1]
- 1993年(平成5年)10月 - 環境庁企画調整局環境保健部保健業務課特殊疾病対策室[1]
- 1994年(平成6年)7月 - 環境庁企画調整局環境保健部保健企画課特殊疾病対策室医療専門官[1]
- 1995年(平成7年)8月 - 厚生省大臣官房厚生科学課課長補佐[1]
- 1997年(平成9年)7月 - 労働省労働基準局安全衛生部労働衛生課中央労働衛生専門官[1]
- 1998年(平成10年)7月 - 厚生省保険局医療課課長補佐[1]
- 2000年(平成12年)7月 - 厚生省大臣官房国際課課長補佐[1]
- 2001年(平成13年)1月 - 厚生労働省大臣官房国際課課長補佐[1]
- 2003年(平成15年)7月 - 厚生労働省大臣官房厚生科学課課長補佐[1]
- 2005年(平成17年)4月 - 厚生労働省大臣官房厚生科学課健康危機管理官[1]
- 2006年(平成18年)9月 - 広島県福祉保健部長[1]
- 2008年(平成20年)4月 - 広島県健康福祉局長[1]
- 2009年(平成21年)10月 - 厚生労働省大臣官房総務課企画官[1]
- 2012年(平成24年)9月 - 老健局老人保健課長[1]
- 2015年(平成27年)10月 - 医政局地域医療計画課長[1]
- 2016年(平成28年)6月 - 保険局医療課長[1]
- 2018年(平成30年)7月 - 厚生労働省大臣官房審議官(医政・医薬品等産業振興・精神保健医療・災害対策担当)[2][8]
- 2020年(令和2年)8月 - 医政局長兼死因究明等推進本部事務局長[8]
- 2021年(令和3年)
- 2023年(令和5年)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab “厚生労働省辞令” (PDF). じほう. 2021年4月10日閲覧。
- ^ a b c d e f “Speakers 迫井正深”. CancerX. 2021年4月10日閲覧。
- ^ a b c “内閣感染症危機管理監 感染対策トップ、栗生官房副長官”. 毎日新聞デジタル (毎日新聞社). (2023年8月26日) 2023年8月31日閲覧。
- ^ a b c “NEWS 医務技監に迫井正深氏―厚生労働省人事(7月4日付)”. Web医事新報 (日本医事新報社). (2023年7月6日) 2023年8月20日閲覧。
- ^ a b c "内閣総理大臣辞令" (PDF) (Press release). 内閣官房. 4 July 2023. 2023年8月20日閲覧。
- ^ a b c “厚労次官に吉田氏”. 時事ドットコム (時事通信社). (2021年10月1日) 2021年10月1日閲覧。
- ^ a b c “厚労省幹部人事、新医政局長に伊原氏 樽見事務次官・濵谷保険局長・鎌田医薬局長は留任”. 日刊薬業 (じほう). (2021年9月14日) 2021年9月14日閲覧。
- ^ a b c d “Action Report 第175号” (PDF). 全国社会福祉協議会 (2020年8月17日). 2021年4月11日閲覧。
- ^ “関東翠仁会・設立2周年総会/シンポジウム/懇親会”. 広島学院 翠仁会 (2018年5月25日). 2021年4月10日閲覧。
- ^ a b c “〜H-PAC第6回公開シンポジウム〜 地域医療構想から次期医療計画へ 〜需給ギャップを克服し、アウトカムを達成する〜” (PDF). 東京大学公共政策大学院. 2021年4月10日閲覧。
- ^ “【人】迫井正深さん「医療に“生活の視点”を導入したい」”. 日本医事新報 (日本医事新報社). (2016年11月5日) 2021年4月11日閲覧。
- ^ “厚労省医政局長に医系技官返り咲きの裏側”. Beyond Health (日経BP). (2020年9月4日) 2020年4月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “In My Resident Life(石丸裕康,迫井正深,本田美和子,小船井光太郎,松本俊彦,南太郎)”. 医学界新聞 (医学書院). (2019年1月14日) 2021年4月11日閲覧。
官職 | ||
---|---|---|
先代 新設 |
内閣感染症危機管理統括庁内閣感染症危機管理対策官 初代:2023年 - |
次代 現職 |
先代 福島靖正 |
医務技監 第3代:2023年 - |
次代 現職 |
先代 吉田学 |
内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室長 2021年 - 2023年 |
次代 中村博治 |
先代 井上肇 |
内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室次長 2021年 |
次代 中村博治 |
先代 吉田学 |
厚生労働省医政局長 第13代:2020年 - 2021年 |
次代 伊原和人 |
先代 吉田学 |
死因究明等推進本部事務局長 2020年 - 2021年 |
次代 伊原和人 |