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道場村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
どうじょうむら
道場村
廃止日 1951年7月1日
廃止理由 編入合併
神戸市、道場村八多村大沢村神戸市兵庫区
現在の自治体 神戸市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
有馬郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 31.944 km2.
総人口 3,955
国勢調査1950年
隣接自治体 神戸市西宮市有馬郡三田町三輪町八多村長尾村川辺郡西谷村
道場村役場
所在地 兵庫県有馬郡道場村道場
座標 北緯34度52分01秒 東経135度13分52秒 / 北緯34.86703度 東経135.231度 / 34.86703; 135.231座標: 北緯34度52分01秒 東経135度13分52秒 / 北緯34.86703度 東経135.231度 / 34.86703; 135.231
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道場村(旧字体: 道塲村、どうじょうむら)は、兵庫県有馬郡にあった。概ね現在の神戸市北区道場町各町にあたる。

地理

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隣接していた自治体

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歴史

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  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、有馬郡道場川原村、日下部村、平田村、生野村、塩田村、上津谷村、宅原村および市原村飛地の区域をもって発足。中心部の道場川原から道場の名をとった。
  • 1902年(明治35年)5月1日 - 大字上津谷村と大字宅原村が長尾村として分離独立。
  • 1923年大正12年)8月 - 大字名を改称。道場川原村を道場、日下部村を日下部、平田村を平田、生野村を生野、塩田村を塩田とする。
  • 1951年昭和26年)7月1日 - 神戸市兵庫区)に編入。同日道場村廃止。
  • 1973年(昭和48年)8月1日 - 兵庫区分割により、旧村域が北区の一部となる。

行政

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村長[1]

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  • 有井市左衛門 明治22年(1889年)5月〜明治25年(1892年)1月
  • 水野宇兵衛 明治25年(1892年)1月〜明治26年(1893年)3月
  • 三谷定三郎 明治26年(1893年)3月〜明治26年(1893年)10月
  • 米田吉三郎 明治26年(1893年)11月〜明治28年(1895年)7月
  • 山脇篤蔵 明治28年(1895年)7月〜明治29年(1896年)6月
  • 中西幸太郎 明治29年(1896年)6月〜明治33年(1900年)6月
  • 小南安太郎 明治33年(1900年)6月〜明治34年(1901年)3月
  • 大西善太郎 明治34年(1901年)3月〜明治35年(1902年)7月
  • 梶和三郎 明治35年(1902年)7月〜明治37年(1904年)4月
  • 岡幾太郎 明治37年(1904年)4月〜明治39年(1906年)7月
  • 山脇延吉 明治39年(1906年)7月〜明治40年(1907年)4月
  • 泉卯之介 明治40年(1907年)4月〜大正4年(1915年)4月
  • 大前幸吉 大正4年(1915年)4月〜大正6年(1918年)12月
  • 後幸太郎 大正6年(1918年)12月〜昭和2年(1927年)4月
  • 泉繁造 昭和2年(1927年)4月〜昭和4年(1929年)9月
  • 山脇泰治 昭和4年(1929年)9月〜昭和19年(1944年)9月
  • 新谷雅一 昭和19年(1944年)9月〜昭和20年(1945年)10月
  • 喜多武男 昭和20年(1945年)10月〜昭和22年(1947年)4月
  • 中ノ幸逸 昭和22年(1947年)4月〜昭和26年(1951年)6月30日

経済

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産業

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農業

農産物は、甘藷鶯豆馬鈴薯大豆西瓜甜瓜その他を出し、林産物は松茸、薪炭材、用材、製材、竹材その他を出す[1]。『大日本篤農家名鑑』によれば道場村の篤農家は、「岡幾太郎、新谷甚之丞、山脇延吉、東馬場清太郎、泉卯之介」などである[2]

商工業

工産物は清酒、竹製品、木製品、染物、藁製品、石材、籐製品その他を出す[1]

地域

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現在の地名

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教育

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交通

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鉄道路線

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道路

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江戸時代までは道場川原を中心に大坂から三木三田篠山に至る有馬街道湯山街道、丹波街道の宿場であった。

名所・旧跡

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脚注

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  1. ^ a b c 『伝家之宝典 自治団体之沿革 兵庫県之部』篠田皇民 著、東京都民新聞社地方自治調査会、1932年、pp159-160(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年7月3日閲覧。
  2. ^ 『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年、p125(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年7月3日閲覧。

参考文献

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関連項目

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