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鄭容臺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鄭 容臺
名前
カタカナ チョン・ヨンデ
ラテン文字 CHUNG Yongdae
文観式: Jeong Yongdae
ハングル 정용대
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
生年月日 (1978-02-04) 1978年2月4日(46歳)
出身地 愛知県名古屋市
身長 178cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1993-1995 日本の旗 愛知朝鮮中高級学校
1996-1999 日本の旗 朝鮮大学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000 日本の旗 青梅FC
2001 大韓民国の旗 浦項スティーラース 4 (0)
2002-2005 日本の旗 名古屋グランパス 9 (0)
2002 日本の旗 セレッソ大阪(loan) 11 (0)
2005 日本の旗 川崎フロンターレ(loan) 7 (0)
2006-2007 日本の旗 横浜FC 56 (2)
2007 日本の旗 コンサドーレ札幌(loan) 10 (0)
2008 日本の旗 コンサドーレ札幌 11 (0)
2009 日本の旗 横浜FC 39 (1)
通算 147 (3)
監督歴
2016-2017 日本の旗 名古屋グランパスU-15
2019 日本の旗 栃木シティFC
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

鄭 容臺(チョン・ヨンデ、1978年2月4日 - )は、愛知県名古屋市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。

来歴

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愛知第三初級学校の頃に中部朝鮮学校選抜の中心選手として頭角を顕した。その後、愛知朝鮮中高級学校高級部、朝鮮大学校を経て、2000年に当時関東サッカーリーグに所属していた青梅FCでプレーしていたが、その年に在日韓国人の選抜チーム「在日大韓蹴球団」のメンバーに選ばれ、釜山で行われた大韓民国全国体育大会で活躍。そこでのプレーが認められ、2001年Kリーグ浦項スティーラースに入団した[1]。この頃に、それまでの朝鮮籍から韓国籍へと国籍を変更している[2]

翌2002年に日本に戻り、名古屋グランパスに入団[3]。その後、セレッソ大阪川崎フロンターレと渡り歩き、守備的な選手として起用された。

2006年横浜FCに完全移籍で入団した。そこで初めてレギュラーをつかみ、チームのJ1昇格に貢献。2007年、負傷により出場機会が減り、コンサドーレ札幌期限付き移籍。札幌では大塚真司の負傷離脱などもあり途中加入ながらレギュラーに定着し、本来の守備的MF以外にもセンターバックサイドバックもこなすプレーの幅の広さを生かし、ここでも昇格に貢献した。2008年に札幌へ完全移籍したが、出場機会が減少し、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。2009年シーズンは開幕を無所属のまま迎えたが、4月に2シーズンぶりに横浜FCでプレーすることが決まった[4]。同年は2006年に次ぐ出場試合数を記録し、再び横浜FCの中心選手となったが、同年限りで退団した。

2010年シーズンは無所属のまま複数のクラブの練習に参加するなどしていたが、希望するJリーグでの所属先が見つからず、同年9月に現役引退を発表。2011年より、古巣の川崎で育成部門のコーチを務める。

2013年、横浜FCのトップチームコーチに就任[5]

2015年、カターレ富山のトップチームコーチに就任[6]。同年8月に成績不振を理由に岸野靖之監督とともに契約解除[7]

2016年、名古屋グランパスのU-15監督に就任。2018年、ギラヴァンツ北九州のトップチームコーチに就任[8]。2019年、栃木シティFCの監督に就任したが[9]、5月14日に契約が解除された[10]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 青梅FC 関東 -
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2001 浦項 42 Kリーグ
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 名古屋 33 J1 0 0 0 0 - 0 0
C大阪 25 J2 11 0 - 0 0 11 0
2003 名古屋 15 J1 6 0 1 0 1 0 8 0
2004 3 0 1 0 0 0 4 0
2005 川崎 17 7 0 0 0 1 0 8 0
2006 横浜FC 13 J2 44 2 - 0 0 44 2
2007 J1 12 0 5 0 - 17 0
札幌 33 J2 10 0 - 0 0 10 0
2008 J1 11 0 2 1 0 0 13 1
2009 横浜FC 29 J2 39 1 - 1 0 40 1
通算 日本 J1 39 0 9 1 2 0 50 1
日本 J2 104 3 - 1 0 105 3
日本 関東 -
韓国 Kリーグ
総通算 143 3 9 1 3 0 155 4

指導歴

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脚注

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  1. ^ “鄭容臺(浦項)が優勝争いに大抜擢”. 民団新聞. (2001年9月19日). https://www.mindan.org/old/shinbun/010919/topic/topic_d.html 2024年1月1日閲覧。 
  2. ^ テレビ愛知ホームページ「解説委員室・コラム」No.077「愛しのヨン様!」2004年12月28日付
  3. ^ "入団会見の模様" (Press release). 名古屋グランパス. 2024年1月1日閲覧
  4. ^ MF鄭容臺(チョン ヨンデ)選手加入のお知らせ 横浜FC 2009年4月2日付プレスリリース
  5. ^ "鄭容臺育成・普及コーチ 兼 U-15・13コーチ「横浜FCトップチームコーチ」就任のお知らせ" (Press release). 川崎フロンターレ. 13 January 2013. 2024年1月1日閲覧
  6. ^ 鄭 容臺氏 トップチームコーチ就任のお知らせ”. カターレ富山 (2014年12月28日). 2015年1月10日閲覧。
  7. ^ 監督交代およびヘッドコーチ契約解除のお知らせ”. カターレ富山 (2015年8月27日). 2016年1月16日閲覧。
  8. ^ 鄭 容臺(チョン ヨンデ)氏 トップチームコーチ就任のお知らせ
  9. ^ 鄭 容臺氏 監督就任のお知らせ|栃木シティフットボールクラブ
  10. ^ 監督交代のお知らせ|栃木シティフットボールクラブ
  11. ^ 名古屋グランパスエイト鄭 容臺選手加入 - ウェイバックマシン(2007年10月30日アーカイブ分) セレッソ大阪 (2002年8月23日)

関連項目

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外部リンク

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