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酒匂常明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

酒匂 常明(さこう つねあきら[1][注釈 1]文久元年11月27日1861年12月28日) - 1909年明治42年)7月11日[3])は、日本農学者(農学士・農芸化学士)、官僚。「米博士[3]」、「米作りの功労者[4]」とも呼ばれる。日本製糖社長時代に汚職事件が起こり、自殺した。

来歴・人物

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1861年12月28日但馬国出石藩士の子に生まれる[5]

1883年3月、駒場農学校の農業科・農芸化学科を経て農商務省に入省。農商務省御用掛を以て駒場農学校助教授を兼職し、1887年に教授に昇格[5]。また、農務局事務取扱として農業政策の事務も執った[6]

1889年4月からヨーロッパ留学1891年1月帰朝。帰朝後には農科大学教授及び農商務省技師となる[6]

1892年12月、北垣国道に招かれ、北海道庁財務長就任[5]。北海道庁の施策として米作りを奨励し、1893年上白石村亀田村稲作試験場を、真駒内に模範水田を作り、北海道での稲作が可能なことを証明した[4]

1898年4月農商務書記官、11月農政課長、1903年農務局長となり、渋沢栄一の勧誘に応じて1906年11月辞職、大日本製糖株式会社の社長となる[6]

1909年日糖事件が起こる[6]。同年7月11日、事件の責任を取るために自宅にてピストル自殺を遂げる。享年49歳[7]。墓所は青山霊園(1イ21-7)。

家族・親族

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著書

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著述

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  • 『農家小学』吉備商会等、1887年4月。 NCID BA66824531全国書誌番号:40060724 
  • 『酒勾甲部普通農事巡回教師農談筆記』岐阜県第一部、1887年5月。全国書誌番号:40061062 
  • 『改良日本米作法』有隣堂、1887年10月。 NCID BA52318549 
  • 『肥料ノ事』石原蔵臧筆記、石原蔵臧、1888年6月。全国書誌番号:40061191 
  • 『日本肥料全書』有隣堂、1888年11月。 NCID BA31514684全国書誌番号:40060668 
  • 『米作肥料規則』大日本農会、1891年12月。全国書誌番号:40061283 
  • 『日清韓実業論』実業之日本社、1903年5月。 NCID BA51011336全国書誌番号:60005356 
  • 『韓国農業要項』農商務省農務局、1906年1月。全国書誌番号:40034163 
  • 大隈重信撰副島八十六 編「農政及び林政」『開国五十年史』 下巻、開国五十年史発行所、1908年2月、415-466頁。 NCID BN0487167X全国書誌番号:51009917 

校閲

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「つねあき」とも読まれる[2]

出典

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  1. ^ 河野常吉「さこう-つねあきら 酒勾常明」『北海道史人名字彙』 上、北海道出版企画センター、1979年11月、360-361頁。 
  2. ^ 酒匂, 常明, 1861-1909”. Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス). 国立国会図書館 (2016年8月22日). 2021年4月15日閲覧。
  3. ^ a b 『20世紀日本人名事典 あ~せ』日外アソシエーツ株式会社、2004年7月、1144頁。 
  4. ^ a b 阪本一之「21世紀に語り継ぎたい 雄大なロマンを夢み 北海道開発にかけた男たち――北垣国道、酒匂常明」『開発こうほう』第454号、北海道開発協会、2001年4月25日、19-23頁、NAID 40000383769 
  5. ^ a b c 高尾英男「農学士酒匂常明の「北海道米作論」の開拓史における意義」『開発こうほう』第9号、北海道地域文化学会、2017年3月31日、27-36頁、NAID 40021290140 
  6. ^ a b c d 小倉倉一「明治農林官僚の典型 名農務局長酒匂常明博士」『農林春秋三月号』第2巻第3号、農林協会、1952年3月1日、32-36頁、NAID 40003152267 
  7. ^ 再生外骨「酒匂常明」『近世自殺者列伝』半狂堂〈随題随記随刊〉、1931年12月、33頁。 

外部リンク

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公職
先代
岡毅
日本の旗 横浜生糸検査所
1901年 - 1902年
次代
紫藤章
先代
(新設)
日本の旗 北海道庁殖民部長
1897年
次代
深野一三
先代
鈴木米三郎
日本の旗 北海道庁財務部長
1892年 - 1897年
次代
三輪一夫
先代
(新設)
日本の旗 臨時北海道鉄道敷設部
1896年 - 1897年
次代
田辺朔郎
ビジネス
先代
(新設)
大日本製糖社長
1906年 - 1909年
次代
藤山雷太