野中庸
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野中 庸(のなか いさお、1922年3月 - )は、日本の内務・警察官僚。京都府出身[1]。
概要
[編集]東京帝国大学法学部卒業後、高等試験に合格し、1945年に内務省入省[1]。1947年に内務省警保局に勤務[1]。1948年に国家地方警察三重県本部警務部長兼教養課長、1949年に国家地方警察三重県本部警備部長兼警備課長、1952年に国家地方警察本部警備部警ら交通課課長補佐、1954年に兵庫県警察本部刑事部捜査第二課長、1955年に静岡県警本部警務部長、1958年に警察庁警備局警備第一課理事官、1962年に滋賀県警本部長、1964年に警察庁中部管区警察局総務部長、1965年に警察庁近畿管区警察局管区警察学校長、1967年に公安調査庁調査第二部第二課長、1969年に近畿管区警察局公安部長、1970年に長野県警本部長を歴任[1]。長野県警本部長時代の1972年にあさま山荘事件が発生し、事件処理にあたった[2]。1973年に警察庁中部管区警察局長に就任[1]。
退官後は、セントラル警備保障代表取締役社長に就任した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件』文藝春秋(文春文庫)、1999年。ISBN 978-4167560058。
- 小山善一郎、石丸陽『日本警察官僚総合名鑑』新時代社、2005年。ISBN 9784787491053。