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金久保万吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金久保 万吉
生誕 1865年10月23日
日本の旗 日本 武蔵国埼玉郡荻島村
(埼玉県)
死没 (1938-04-08) 1938年4月8日(72歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1888年 - 1921年
最終階級 陸軍中将
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金久保 万吉(萬吉、かなくぼ まんきち、1865年10月23日慶応元年9月4日[1][2][注釈 1]〉- 1938年昭和13年〉4月8日[1][注釈 2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[3]

経歴

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武蔵国埼玉郡荻島村(現埼玉県[注釈 3]羽生市北荻島)で金久保浅右衛門の2男として生まれ、1898年(明治31年)7月に家督を相続した[1][2][4]

1888年(明治21年)7月、陸軍士官学校旧10期を卒業し、陸軍歩兵少尉任官[1][2][3][5]1893年(明治26年)11月、陸軍大学校(12期)に入学[6]日清戦争勃発のため1894年(明治27年)7月、陸大を退校し第2軍に属して出征[2]1896年(明治29年)2月、陸大に復学し1897年(明治30年)12月に卒業して陸軍戸山学校に配属された[6]日露戦争では第4師団参謀として出征した[2][5]

歩兵第2連隊付などを経て[4]1907年(明治40年)11月、第10師団参謀長に就任し、1908年(明治41年)9月、陸軍歩兵大佐に昇進[1][3]。以後、近衛歩兵第2連隊長、近衛歩兵第1連隊長を歴任[1][3]1914年(大正3年)5月、陸軍少将に進み歩兵第18旅団長に就任[1][3][5]。歩兵第40旅団長を経て1918年(大正7年)7月、旅順要塞司令官となり、同月、陸軍中将に進んだ[1][3][5]

1918年8月、第10師団長に親補され、1921年(大正10年)3月、予備役に編入された[1][3][5][7]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』519頁では慶応3年9月4日。
  2. ^ 『日本陸軍将官辞典』519頁では昭和13年4月7日。
  3. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』84頁、『日本陸軍将官辞典』219頁では新潟。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『埼玉人物事典』258頁。
  2. ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』か82頁。
  3. ^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』84頁。
  4. ^ a b 『人事興信録 第8版』カ97頁。
  5. ^ a b c d e 『日本陸軍将官辞典』219頁。
  6. ^ a b 『日本陸海軍総合事典 第2版』549頁。
  7. ^ 『日本陸海軍総合事典 第2版』373頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』1928年。
  • 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年。