金久保万吉
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金久保 万吉 | |
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生誕 |
1865年10月23日 日本 武蔵国埼玉郡荻島村 (埼玉県) |
死没 | 1938年4月8日(72歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1888年 - 1921年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
金久保 万吉(萬吉、かなくぼ まんきち、1865年10月23日〈慶応元年9月4日[1][2][注釈 1]〉- 1938年〈昭和13年〉4月8日[1][注釈 2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[3]。
経歴
[編集]武蔵国埼玉郡荻島村(現埼玉県[注釈 3]羽生市北荻島)で金久保浅右衛門の2男として生まれ、1898年(明治31年)7月に家督を相続した[1][2][4]。
1888年(明治21年)7月、陸軍士官学校旧10期を卒業し、陸軍歩兵少尉任官[1][2][3][5]。1893年(明治26年)11月、陸軍大学校(12期)に入学[6]。日清戦争勃発のため1894年(明治27年)7月、陸大を退校し第2軍に属して出征[2]。1896年(明治29年)2月、陸大に復学し1897年(明治30年)12月に卒業して陸軍戸山学校に配属された[6]。日露戦争では第4師団参謀として出征した[2][5]。
歩兵第2連隊付などを経て[4]、1907年(明治40年)11月、第10師団参謀長に就任し、1908年(明治41年)9月、陸軍歩兵大佐に昇進[1][3]。以後、近衛歩兵第2連隊長、近衛歩兵第1連隊長を歴任[1][3]。1914年(大正3年)5月、陸軍少将に進み歩兵第18旅団長に就任[1][3][5]。歩兵第40旅団長を経て1918年(大正7年)7月、旅順要塞司令官となり、同月、陸軍中将に進んだ[1][3][5]。
1918年8月、第10師団長に親補され、1921年(大正10年)3月、予備役に編入された[1][3][5][7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』1928年。
- 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年。