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金剛敏彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金剛巌 (相撲)から転送)

金剛 敏彦(こんごう としひこ、1940年9月24日 - 没年不明 )は、二所ノ関部屋に所属した元力士。本名は中島 敏彦(なかじま としひこ)。現在の佐賀県神埼郡吉野ヶ里町出身。182cm、101kg。最高位は東十両10枚目。得意技は左四つ、上手投げ。

経歴

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三田川中学校では卓球部に所属し、主将を務めて団体優勝した。三養基高校の時に勧誘されたが、その時は勉強に努めたかったので入門の意志は無く、長男との理由で親も反対したが、結局は上京して入門した。1958年3月場所に初土俵。入門後も雪谷高校の夜間部に通って卒業し、地元にある九州大学へ進学を希望したが、力士生活を続けながらの通学は無理なので拓殖大学へ進学した。しかし、1年後に休学した。1963年7月場所に十両昇進。1966年1月場所に幕下に陥落し、この場所限りで廃業。

主な成績

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  • 通算成績:220勝182敗4休 勝率.547
  • 十両成績:51勝69敗 勝率.425
  • 現役在位:48場所
  • 十両在位:8場所

場所別成績

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金剛 敏彦
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1958年
(昭和33年)
x (前相撲) 西序ノ口15枚目
3–5 
東序二段117枚目
6–2 
西序二段79枚目
4–4 
東序二段73枚目
7–1 
1959年
(昭和34年)
東序二段32枚目
4–4 
東序二段24枚目
6–2 
西三段目96枚目
5–3 
西三段目82枚目
6–2 
西三段目62枚目
3–5 
西三段目66枚目
6–2 
1960年
(昭和35年)
東三段目31枚目
4–4 
東三段目26枚目
6–2 
東幕下83枚目
5–3 
東幕下68枚目
3–4 
東幕下76枚目
5–2 
東幕下61枚目
5–2 
1961年
(昭和36年)
東幕下52枚目
6–1 
西幕下29枚目
6–1 
西幕下11枚目
5–2 
西幕下7枚目
1–2–4 
東幕下22枚目
2–5 
西幕下34枚目
6–1 
1962年
(昭和37年)
東幕下11枚目
3–4 
東幕下14枚目
5–2 
東幕下7枚目
2–5 
西幕下13枚目
3–4 
西幕下14枚目
5–2 
東幕下6枚目
2–5 
1963年
(昭和38年)
東幕下16枚目
5–2 
西幕下6枚目
4–3 
西幕下3枚目
5–2 
東十両17枚目
9–6 
西十両12枚目
8–7 
東十両10枚目
5–10 
1964年
(昭和39年)
西十両15枚目
3–12 
東幕下7枚目
4–3 
東幕下6枚目
4–3 
西幕下4枚目
4–3 
西幕下2枚目
2–5 
東幕下11枚目
5–2 
1965年
(昭和40年)
西幕下3枚目
4–3 
西幕下筆頭
5–2 
西十両14枚目
8–7 
東十両13枚目
8–7 
東十両11枚目
5–10 
東十両17枚目
5–10 
1966年
(昭和41年)
西幕下5枚目
引退
3–4–0
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 中島 敏彦(なかじま としひこ)1958年3月場所 - 1963年5月場所
  • 金剛 敏彦(こんごう としひこ)1963年7月場所 - 1965年3月場所
  • 金剛 巌(こんごう いわお)1965年5月場所 - 1965年11月場所
  • 中島 敏彦(なかじま としひこ)1966年1月場所

参考文献

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  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、ISBN 978-4764104709

関連項目

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外部リンク

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