金原節三
金原 節三(きんばら せつぞう、1901年11月3日[1] - 1976年10月29日[2])は、日本陸軍軍医(耳鼻咽喉科)、陸上自衛隊医官。第三代陸上幕僚監部衛生監。陸将。医学博士。
経歴
[編集]愛知県名古屋市出身。1919年(大正8年)3月、静岡県立静岡中学校卒業[3]。第八高等学校を経て、陸軍に入り、1926年(大正15年)東京帝国大学医学部(陸軍依託学生)卒業。同年6月、陸軍二等軍医。同年8月、陸軍軍医学校(~昭和2年6月)。1928年(昭和3年)5月、済南事変のため出征(~昭和4年4月)、1929年(昭和4年)4月、東京帝大大学院耳鼻咽喉科・増田胤次教授に師事(~昭和6年3月)。1929年(昭和4年)8月(一等軍医)。1932年(昭和7年)8月、東京第一衛戍病院付。1934年(昭和9年)1月、陸軍省軍務局付。同年12月、ドイツ駐在(~昭和11年8月 軍事研究)。1936年(昭和11年)8月、三等軍医正、軍医学校付。1937年(昭和12年)8月、医務局医事課員、逓信省事務官。1938年(昭和13年)2月、航空局事務官(~昭和14年3月)。1938年(昭和13年)6月、傷兵保護院事務官(~昭和14年3月)。1941年(昭和16年)11月、医務局医事課長(〜昭和18年9月)。1942年(昭和17年)8月、軍医大佐。1943年(昭和18年)9月、近衛第二師団(スマトラ)軍医部長。1944年(昭和19年)10月、第15軍(ビルマ)軍医部長。1945年(昭和20年)7月、第38軍(仏印)軍医部長。1946年(昭和21年)5月、帰還復員。同年6月、厚生省東海北陸医務出張所長。1947年(昭和22年)12月、退官(公職追放)。1948年(昭和23年)1月、名古屋市にて開業(金原医院)。1955年(昭和30年)8月、防衛庁に入庁と同時に陸将補任命、陸上自衛隊衛生学校長(〜昭和32年12月)。陸上幕僚監部衛生課長から陸将、第三代陸上幕僚監部衛生監。1961年(昭和36年)11月、退官。
著作
[編集]参考文献
[編集]- 『日本近現代医学人名辞典』2012年
脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 第25版 上』(人事興信所、1969年)き132頁
- ^ “金原 節三 - Webcat Plus”. webcatplus.nii.ac.jp. 2022年5月15日閲覧。
- ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 51頁。