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金村清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金村 清
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県
生年月日 (1939-06-16) 1939年6月16日(85歳)
身長
体重
177 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1962年
初出場 1962年
最終出場 1964年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

金村 清(かねむら きよし、1939年6月16日 - )は、滋賀県[1]出身の元プロ野球選手

経歴

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大津東高校1956年4月に膳所高等学校に改称)では、2年生の時、三塁手として1956年春の選抜へ出場[1]。2回戦(初戦)で、この大会に優勝した中京商安井勝に抑えられ、延長10回サヨナラ負け[2]。同年夏の甲子園予選は京滋大会決勝で平安高に惜敗。翌1957年夏の甲子園予選も京滋大会決勝でまたも平安高に敗退。高校同期にエースの石田博三がいた。

同志社大学に進学。関西六大学野球リーグでは、エース山尾孝雄を擁し1960年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会は、決勝で法大山崎正之新山彰忠の継投の前に、延長14回の末に敗れ準優勝に終わる。

1962年南海ホークスへ入団[1]。1年目から一軍に上がり、バディ・ピートの控えではあるが、2試合に三塁手として先発出場。しかしその後は活躍の場に恵まれず、1964年限りで引退。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1962 南海 10 10 10 1 3 0 0 0 3 2 0 1 0 0 0 0 0 0 0 .300 .300 .300 .600
1963 3 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1964 11 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
通算:3年 24 15 15 1 3 0 0 0 3 2 0 1 0 0 0 0 0 2 0 .200 .200 .200 .400

背番号

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  • 26 (1962年 - 1964年)

脚注

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、159ページ
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

関連項目

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外部リンク

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