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金沢市立田上小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金沢市立田上小学校
地図北緯36度32分46.2秒 東経136度41分34.7秒 / 北緯36.546167度 東経136.692972度 / 36.546167; 136.692972座標: 北緯36度32分46.2秒 東経136度41分34.7秒 / 北緯36.546167度 東経136.692972度 / 36.546167; 136.692972
過去の名称 下田上村落小学校
田上小学校
下田上小学校
下田上尋常小学校
下田上尋常高等小学校
浅川村下田上国民学校
浅川村立下田上小学校
浅川村立田上小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 金沢市
併合学校 金沢市立俵小学校
設立年月日 1873年明治6年)4月[1]
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B117220100303 ウィキデータを編集
校地面積 15,438[1] m2
校舎面積 5,741[1] m2
所在地 920-1156
石川県金沢市田上の里2丁目1番地[2]
外部リンク www14.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=1710008 ウィキデータを編集
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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金沢市立田上小学校(かなざわしりつ たがみしょうがっこう、英語: Kanazawa Municipal Tagami Elementary School)は、石川県金沢市田上の里2丁目にある公立小学校

概要

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沿革

[編集]

《参考:[3]

  • 1872年6月(明治05年5月[4]) - 下田上村の本多伊佐衛門が自宅において子弟等を教育する家塾を開く[4]
  • 1873年(明治06年)4月6日 - 前年個人宅に開校していた家塾を石川県令の承認により第二大学区第二十二中学区河北郡下田上村落小学校と称する[4]
  • 1886年(明治19年)11月19日 - 校舎が新築されて移転(下田上地内)[5]田上小学校と改称。
  • 1887年(明治20年)4月1日 - 下田上小学校と改称[6]小学校令発布により簡易科、尋常科設置。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により下田上村ほかの区域をもって金浦村発足。
  • 1892年(明治25年)4月1日 - 小学校令改正に伴い下田上尋常小学校と改称。金浦村に設置[3]
  • 1904年(明治37年)6月5日 - 高等科併置して下田上尋常高等小学校と改称[4]
  • 1907年(明治40年)8月10日 - 金浦村、湯ノ谷村医王山村が合併して、浅川村発足。
  • 1910年(明治43年)4月1日 - 新校舎が落成、移転[7](現在地への移転はその後1978年〈昭和53年〉のこと)。
  • 1941年昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、浅川村下田上国民学校と改称[注釈 1]
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、浅川村立下田上小学校となる。国民学校高等科を下田上中学校として分離[3](同じ校地内に設置)。
  • 1952年(昭和26年)4月1日 - 金沢市立田上小学校鈴見分教場を設置[3]
  • 1957年(昭和32年)
    • 2月6日 - 国立若松療養所内に若松学園分校(「金沢若松園」[9])を設置[3]
    • 4月1日 - 浅川村立田上小学校と改称[3]
    • 4月5日 - 浅川村の金沢市編入に伴い金沢市立田上小学校と改称。下田上中学校は田上中学校と改称。若松学園分校に中学部を併設(田上中学校より教諭派遣)[9]。所在地の表記:石川県金沢市田上町ヲ3番地[10]。校章制定[3]
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 田上中学校が金沢市立兼六中学校に統合され 金沢市立兼六中学校田上分場が設置される[11]
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 金沢市立兼六中学校田上分場を廃止[3]
  • 1965年(昭和40年)3月31日 - 金沢市立田上小学校鈴見分教場を廃止[3]
  • 1977年(昭和52年)
  • 1978年(昭和53年)
    • 3月20日 - 新校舎竣工[12][注釈 3]。所在地の表記(当時):石川県金沢市田上町南46番地[13](現在地)。
    • 7月13日 - 校舎・体育館・プール落成式挙行[12]。旧校舎跡地はのちに田上少年運動広場(1980年12月竣工)となる[12]
  • 1993年平成05年)10月17日 - 創立120周年記念式典を挙行[3]
  • 1999年(平成11年)10月29日 - 大規模改修1期工事完了[3]
  • 2000年(平成12年)10月30日 - 大規模改修2期工事完了[3]
  • 2003年(平成15年)11月14日 - 創立130周年記念式典を挙行[3]
  • 2005年(平成17年)10月11日 - 第2田上小学校(仮称)建設起工式[3]
  • 2007年(平成19年)4月1日 - 杜の里小学校を分離、新設。
  • 2013年(平成25年)11月20日 - 創立140周年記念式典を挙行[14]
  • 2014年(平成26年)4月1日 - 俵小学校と統合。
  • 2015年(平成27年)1月17日 - 「土地区画整理事業による町及び字の区域並びに町の名称の変更並びに字の区域の廃止」により郵便番号および所在地の表記が変更[15][16]。変更前:920-1151 石川県金沢市田上町南46番地 ⇒ 変更後:920-1156 石川県金沢市田上の里2丁目1番地。
  • 2023年令和05年)4月1日 - 朝霧台小学校を分離、新設。

脚注

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注釈

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  1. ^ 学校の沿革史(旧・旧ホームページ)に「下田上国民学校」への改称は記されていないが、『石川縣學事関係職員録』(1946年)の中に同国民学校の名称が認められる[8]
  2. ^ 『石川県特殊教育百年史』では、1972年(昭和47年)9月に最後の小学生1人の退院をもって「金沢若松園」が閉設となったと記されている(106頁)[9]
  3. ^ 学校の沿革史(旧・旧ホームページ)では、より早い3月6日に新校舎へ移転したとなっている。

出典

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  1. ^ a b c 学校施設、児童生徒数、教職員数一覧”. 金沢の教育(行政編). 金沢市教育委員会. p. 36. 2024年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年8月8日閲覧。
  2. ^ 金沢市学校設置条例 第2条別表”. 金沢市. 2024年9月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 田上小学校の沿革史(金沢市立田上小学校 旧・旧ホームページ)(2010年8月13日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  4. ^ a b c d 河北郡 編『石川県河北郡誌 (石川県郷土誌叢刊)』臨川書店、1985年10月、394頁。NDLJP:9539867/217 
  5. ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(明治編)』金沢市、1965年7月、79頁。NDLJP:2994360/44 
  6. ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 81.
  7. ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 187.
  8. ^ 表彌三郎『石川縣學事関係職員録』大日本敎育會石川縣支部、1946年12月、39頁。NDLJP:10297330/25 
  9. ^ a b c 石川県特殊教育百年史編さん委員会 編『石川県特殊教育百年史』石川県教育センター、1981年3月、106頁。NDLJP:12120410/68 
  10. ^ 金沢市史編さん委員会 編『金沢市史――現代編 下巻』金沢市、1969年12月、473頁。NDLJP:9569470/251 1967年4月時点の学校一覧参照。
  11. ^ 学校概要 - 沿革(金沢市立兼六中学校 旧ホームページ)(2020年11月12日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  12. ^ a b c 市史年表 金沢の百年 昭和続編”. 金沢市図書館. 2024年8月8日閲覧。
  13. ^ 『全国学校総覧』文部省 監修(昭和58年版)、東京教育研究所、1982年11月、677頁。NDLJP:12248946/350 
  14. ^ 2013 学校行事等(金沢市立田上小学校 旧ホームページ)(2014年2月12日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  15. ^ 最近の区画整理や旧町名復活などによる町の区域の変更等について、教えてください”. 金沢市. 2020年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月27日閲覧。
  16. ^ 金沢市田上第五土地区画整理組合. 新旧地番対照表(新地番順)”. 金沢市. p. 6. 2019年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月27日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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