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金沢市立西南部中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金沢市立西南部中学校
金沢市立西南部中学校(2020年3月)
地図北緯36度33分09.3秒 東経136度36分22.2秒 / 北緯36.552583度 東経136.606167度 / 36.552583; 136.606167座標: 北緯36度33分09.3秒 東経136度36分22.2秒 / 北緯36.552583度 東経136.606167度 / 36.552583; 136.606167
国公私立の別 公立学校
設置者 金沢市
併合学校 金沢市立安原中学校
金沢市立押野中学校
金沢市立額中学校(初代)
校訓 学習の自覚 心身の錬成 感謝の気持[1]
設立年月日 1965年昭和40年)4月[2][3]
共学・別学 男女共学
学期 3学期制[4]
学校コード C117220100132 ウィキデータを編集
校地面積 27,143[3] m2
校舎面積 7,791[3] m2
所在地 921-8062
石川県金沢市新保本1丁目149番地[5]
外部リンク www14.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=1720016 ウィキデータを編集
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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金沢市立西南部中学校(かなざわしりつ せいなんぶちゅうがっこう、英語: Kanazawa Municipal Seinanbu Junior High School)は、石川県金沢市新保本1丁目にある公立中学校

金沢市立の中学校の中で、兼六中学校に次いで二番目に生徒数が多い中学校である[注釈 1]2023年5月時点)[3]

沿革

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  • 1965年昭和40年)
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月31日 - 新校舎完成(1968年竣工の一部をのぞく)[2]。所在地:金沢市新保本町チ49番地(当時)[11]
    • 4月5日 - 旧3中学校(分場)から移転後初めての入学式を実施[12]
    • 10月20日 - 校歌制定(作詩:鏑木勢岐、作曲:今井松雄)[2]
    • 12月17日 - 体育館竣工[2]
  • 1968年(昭和43年)11月2日 - 校舎落成式挙行[2]
  • 1971年(昭和47年)4月1日 - 額地区が金沢市立額中学校(2代・現)創立により分離[2]
  • 1982年(昭和57年)4月1日 - 緑地区が金沢市立緑中学校創立により分離[2]
  • 1993年平成05年)2月15日 - コンピュータ室完成[2]
  • 2003年(平成15年)6月30日 - 第2コンピュータ室完成[2]
  • 2015年(平成27年)10月31日 - 創立50周年記念式[2]

通学区域

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押野小学校通学町、三和小学校通学町、西南部小学校通学町[13]

周辺

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部活動

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運動部

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  • 陸上
  • 野球
  • サッカー 
  • バスケットボール
  • ハンドボール
  • バレーボール - 1978年・2004年県体男子優勝[2]
  • バドミントン
  • ソフトテニス
  • 剣道
  • 相撲 - 2004年全国大会団体優勝、2008年全国大会団体3位、2010年全国大会団体準優勝[2]
  • ソフトボール - 2019年県体女子優勝[2]

文化部

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  • 社会
  • 文芸
  • 茶華道
  • 美術
  • 吹奏楽 - 2021年・2022年首都圏学校交歓演奏会金賞[2]
  • 合唱

主な卒業生

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脚注

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注釈

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  1. ^ なお、生徒数が三番目に多い浅野川中学校との差はわずかに6人である。
  2. ^ 押野中学校は1947年(昭和22年)4月創立[6]1956年(昭和31年)1月1日に、押野村の金沢市編入に伴い、金沢市立押野中学校となった。所在地:金沢市八日市町ト87番地[6]
  3. ^ 安原中学校は1949年(昭和24年)4月創立[6]1954年(昭和29年)7月1日に、安原村の金沢市編入に伴い、金沢市立安原中学校となった。所在地:金沢市福増町リ90番地[7]
  4. ^ 額中学校(初代)は現在ある額中学校と異なる。1947年(昭和22年)5月創立[6]。1954年(昭和29年)7月1日に、額村の金沢市編入に伴い、金沢市立額中学校となった。所在地:金沢市額乙丸町41の1番地[7]
  5. ^ 出典の西南部学校ホームページの沿革によれば、開校時には本校所在地が置かれていなかった。金沢市新保本町(当時)に新校舎が建設されるまで、旧安原中学校、旧押野中学校、旧額中学校はそれぞれ西南部中学校安原分場、同押野分場、同額分場と称したとも記録されている[8]。ただし、その後、旧押野中学校跡地の金沢市八日市町ト87番地が本校所在地となったと見受けられる資料もある[9][10]

出典

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  1. ^ 教育目標および教育方針(PDFファイル)(金沢市立西南部中学校公式ページ)2024年5月6日閲覧
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 学校概要(金沢市立西南部中学校公式ページ)2024年5月6日閲覧
  3. ^ a b c d 学校施設、児童生徒数、教職員数一覧”. 金沢の教育(行政編). 金沢市教育委員会. p. 38. 2024年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年9月22日閲覧。
  4. ^ 令和6年度年間行事予定”. 金沢市立西南部中学校. 2024年8月17日閲覧。
  5. ^ 金沢市学校設置条例 第2条別表”. 金沢市. 2017年9月閲覧。
  6. ^ a b c d 全国学校教育振興会 編『学校年鑑 1959』山陽社、1958年10月、634頁。NDLJP:9524018/330 
  7. ^ a b 金沢市史 現代編 下巻(1969), p. 479.
  8. ^ 金沢市史 現代編 下巻(1969), p. 483.
  9. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校年鑑』(昭和41年版)文化研究社、1966年3月、中学校の部 149頁。NDLJP:3043691/267 昭和41年版では3校(分場)を並記。
  10. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校年鑑』(昭和42年版)文化研究社、1967年2月、中学校の部 149頁。NDLJP:3043692/268 昭和42年版では「八日市87」の所在地のみ記載。
  11. ^ 金沢市史編さん委員会 編『金沢市史――現代編 下巻』金沢市、1969年12月、482頁。NDLJP:9569470/256 1967年時点の中学校一覧を参照。
  12. ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(大正・昭和編)』金沢市、1967年6月、497頁。NDLJP:2994372/253 
  13. ^ 金沢市立中学校生徒通学区域”. 金沢市例規集. 金沢市. 2017年9月閲覧。

関連項目

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外部リンク

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