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金相福 (軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金 相福
김 상복
生誕 1923年?
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮平安南道安州郡
所属組織  満洲国軍
大韓民国陸軍
軍歴 1944-1945(満洲国軍)
1946-1968(韓国陸軍)
最終階級 少尉(満洲国軍)
中将(韓国陸軍)
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金 相福(キム・サンボク、김상복1923年ごろ - 不詳)は大韓民国の軍人。最終階級は陸軍中将。第3共和国体制で第17代参謀次長朝鮮語版、28代内務部次官、2代大統領政務首席秘書官朝鮮語版を務めた。カトリック教徒で洗礼名はヨセフ[1]

経歴

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平安南道安州出身。1944年に奉天医科大学卒業後、満洲国軍軍医少尉として終戦を迎える[2] 。帰国後、軍事英語学校第1期卒業、任少尉。

朝鮮戦争勃発時は陸軍本部調達監であったが、翌年前線に転じ[注釈 1]、後方に転じた際、砲兵戦力の強化人員として「16人の砲兵将星」の一人に選抜され[注釈 2]、光州砲兵学校で3か月の基礎訓練を受けたのち米国に留学[5][6]、帰国後第2砲兵団長[3][注釈 3]

停戦後は第20師団長第3師団長を歴任。国防部管理局長であった際、5・16軍事クーデターで軍を追われ、石油公社社長に就任したが、1か月で呼び戻されて米参謀大学に留学、1963年に第2訓練所所長第1軍団長第2軍団長を経て参謀次長に就任[3]。しかし数週間足らずで内務部次官、さらに大統領政務首席秘書官朝鮮語版に電撃抜擢される。青瓦台襲撃未遂事件を受け、郷土防衛・対スパイ作戦に長けた人材と見なされた事が背景とされる[2]

1971年より韓国電力社長、全経連理事、新東亜火災会長を務めた。

年譜

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  • 1946年:軍事英語学校第1期卒業、任少尉。
  • 1950年5月1日:陸軍本部調達監
  • 1951年12月:第8師団附?
  • 1952年10月:光州砲兵学校入学
  • 1953年1月ごろ:第2砲兵団長
  • 時期不明:陸軍本部人事局長
  • 1954年:20師団長
  • 1956年:国防大学院入学(~1957年)
  • 1957年8月:第3師団長
  • 1959年6月2日:軍事発展局長
  • 時期不明:国防部管理局長(~1961)
  • 1961年
  • 5月[7]:失職、大韓石油公社社長
  • 6月[7]:復帰、少将
  • 1963年
  • 1964年8月[7]第1軍団長
  • 1965年2月26日:第2軍団長
  • 1966年7月:国防部管理次官補
  • 1968年2月15日:参謀次長
  • 1968年2月26日:予備役編入、内務部次官
  • 1969年4月12日:大統領府政務首席秘書官(~1971年7月9日)
  • 1971年7月22日:韓国電力社長

注釈

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  1. ^ 中央日報報道では第8師団の所属として854高地の戦闘に参加したとしている[3]が、戦史では参加は確認できない[4]
  2. ^ 朴正煕大領、朴璟遠(内務長官)・李奇建(准将)、李明載(이명제、少将)、 宋錫夏(少将)、イ・チャンジョン(이창정、少将)、キム・ヨンジュ(김영주、准将)、崔慶萬(中将)、朴炫洙(박현수、少将)、金東洙(准将)、イ・チュンギョン(이춘경、准将)、金相福(中将)、姜泰敏大領(少将)、金東斌(中将)、李喜権(이희권、少将)、李白雨(이백우、少将)の16人。
  3. ^ 現行の第2砲兵団は1983年設立。第1軍団隷下の第2野戦砲兵団(1952年3月25日創設、1953年7月27日解体)もしくは第2師団砲兵団の事か

脚注

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  1. ^ “金(김) 내무차관 入敎(입교)” (朝鮮語). カトリック新聞. (1968年5月12日). https://www.catholictimes.org/article/202307110193139 2024年11月2日閲覧。 
  2. ^ a b “内務部次板 金相福” (朝鮮語). 毎日経済新聞. (1968年2月29日). https://m.mk.co.kr/amp/46249 2024年11月2日閲覧。 
  3. ^ a b c “第17代参謀次長 金相福中将(“17대 참모차장 김상복 중장”)” (朝鮮語). 中央日報. (1968年2月16日). オリジナルの2022年4月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220421194926/https://www.joongang.co.kr/article/1151176 2016年4月24日閲覧。 
  4. ^ 韓國戰爭史第8巻 對陣中期(1952.4.1~1952.12.31)”. 韓国国防部軍史編纂研究所. pp. 84-94. 2022年11月2日閲覧。
  5. ^ “<865>老兵이 걸어온 길-115-포병장교 무더기 진급” (朝鮮語). 국방일보. (2008年11月27日). http://kookbang.dema.mil.kr/kookbangWeb/view.do?ntt_writ_date=20081127&parent_no=1&bbs_id=BBSMSTR_000000000228 2022年11月2日閲覧。 
  6. ^ “<866>老兵이 걸어온 길-116-미군의 반대를 뚫다” (朝鮮語). 국방일보. (2008年12月1日). http://kookbang.dema.mil.kr/kookbangWeb/view.do?ntt_writ_date=20081201&parent_no=1&bbs_id=BBSMSTR_000000000228 2022年11月2日閲覧。 
  7. ^ a b c d 世界政経調査会 1966, p. 53.
  8. ^ “金相福氏(韓電社長)” (朝鮮語). 毎日経済新聞. (1971年7月22日). https://m.mk.co.kr/amp/145723 2024年11月2日閲覧。 

参考文献

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軍職
先代
-
陸軍本部調達監
初代:1950.5.1 - 1951.12.9
次代
張好珍
先代
宋錫夏
第20師団長
第3代:1954 - 1957.8
次代
朴炫洙
先代
李喜権
第3師団長
第?代:1957.8 - 1959.6.2
次代
兪義濬
先代
不明
第2訓練所
第14代:1963.8 - 1964.8
次代
金炳徽
先代
李相喆
陸軍第1軍団軍団長
第17代:1964.8 - 1965.2.26
次代
沈興善
先代
李相喆
第2軍団長
第15代:1965.2.26 - 1966.7
次代
盧載鉉
先代
文亨泰
参謀次長朝鮮語版
第17代:1968.2.15 - 1968.2.26
次代
韓信
公職
先代
金鶴烈(代理)
大韓民国の旗 大統領政務首席秘書官朝鮮語版
第2代:1969.4.12 - 1971.7.9
次代
洪性澈朝鮮語版