金須松三郎
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金須 松三郎(きす[1] / かなす[2] まつさぶろう、1844年(天保14年12月[2][3][4])- 1894年(明治27年)3月20日[1][2][注 1])は、明治期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]仙台藩士・金須治定(郁三郎)の第三子として生まれる[1][3]。兄・正平に子がいなかったためその嗣子となる[3]。藩学の礼方教官を務めた[3]。また利殖の才に恵まれ巨万の富を築き、1887年(明治20年)5月に海防費として一万円を献ずるなど、公共のための寄付を多数行っている[1][3]。
1889年(明治22年)以降、仙台市名誉職参事会員、宮城県会議員、所得税調査委員、東華学校商議員などを務めた[2][3]。
帝国議会開設に伴い1890年(明治23年)の初回貴族院多額納税者議員選挙で互選され[1][4]、同年9月29日に就任し[5]、在任中の1894年3月に肺疾患[4]により死去した[2][6]。
家族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『明治過去帳』395頁では3月16日。
出典
[編集]- ^ a b c d e 『仙台人名大辞書』303頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』194頁。
- ^ a b c d e f 『宮城県国会議員候補者列伝』10-11頁。
- ^ a b c 『明治過去帳』395頁。
- ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。
- ^ 『官報』第3217号、明治27年3月24日。
- ^ 岩崎総十郎『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- ^ 挙式・披露宴におけるブライダルビジネスの現状と戦略田澤 昌枝 境 新一 東京家政学院大学紀要 第 44 号 2004 年
- ^ 『都市の暮らしの民俗学』第3巻、新谷尚紀, 岩本通弥、吉川弘文館、2006/12/20、p25
参考文献
[編集]- 藻塩舎主人『宮城県国会議員候補者列伝』晩成書屋、1890年。
- 菊田定郷『仙台人名大辞書』仙台人名大辞書刊行会、1933年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。