鈴木智美 (ゴルファー)
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Tomomi SUZUKI | |
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基本情報 | |
名前 | 鈴木 智美 |
没年月日 | 1951年6月12日(73歳) |
身長 | 173 cm (5 ft 8 in) |
体重 | 67 kg (148 lb) |
国籍 | 日本 |
経歴 |
鈴木 智美(すずき ともみ、1951年6月12日 - )は日本のプロゴルファー。
来歴
[編集]1974年にプロ入りし[1]、1976年の阿蘇ナショナルパークオープンでは最終日に67のコースレコードをマークして、4アンダーで鈴木規夫の2位に入った[2] [3]。
1980年のマレーシアダンロップマスターズでは最終日の18番で4mのバーディパットを沈めてルディ・ラバレス( フィリピン)とのプレーオフに持ち込んだが、豪雨のためにプレーオフを断念せざるを得なくなり、ラバレスと共に優勝を分け合う[4]。鈴木は最終日73で4日間合計290をマークし、賞金4500ドルを獲得[4]。1976年・1977年の鈴木豊[5] [6] [7]以来3年ぶりとなる日本人の同大会優勝となったが、これが鈴木にとって国内外通じて唯一の優勝となった。
1980年のアジアサーキット・インドネシアオープンでは2日目にベストスコア64をマークして138で8位に上がり[8]、3日目には68をマークして206で5位[9]とし、最終日には白浜育男と共に2アンダー278で4位タイ[10]に入った。
1987年のマルマンオープン[11]を最後にレギュラーツアーから引退し、2004年からは岩舟ゴルフ倶楽部(栃木県栃木市)の管理会社で代表取締役を務めた[12] [13] [14]。
現在は鹿沼プレミアゴルフ倶楽部総支配人[15]。
主な優勝
[編集]- 1980年 - マレーシアダンロップマスターズ
脚注
[編集]- ^ “PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会”. www.smile-pga.jp. 2023年11月14日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p975 昭和51年9月30日朝刊17面「鈴木規が今季四勝目 阿蘇オープンゴルフ」
- ^ McCormack, Mark H. (1977). The World of Professional Golf 1977. Collins. pp. 296, 525. ISBN 0002168790
- ^ a b “Lavares and Suzuki are joint champions”. The Straits Times: p. 29. (17 March 1980)
- ^ “【日本男子の海外挑戦記・昭和編㉜】1974年以降、アジア・サーキットは日本選手の修行の場に”. m.facebook.com. 2023年11月13日閲覧。
- ^ “Suzuki Is Golf Victor”. The New York Times. (1976年4月4日) 2020年1月24日閲覧。
- ^ “Suzuki holds on”. The Spokesman Review: p. 17. (4 April 1977)
- ^ 毎日新聞縮刷版p162 昭和55年4月5日朝刊18面
- ^ 毎日新聞縮刷版p196 昭和55年4月6日朝刊18面
- ^ 毎日新聞縮刷版p219 昭和55年4月7日朝刊17面「呂西鈞が2連勝」
- ^ “鈴木 智美選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年11月13日閲覧。
- ^ “妙高高原ゴルフ倶楽部(新潟県)を南紀観光(株)が株式取得”. www.mmjp.or.jp. 2023年11月13日閲覧。
- ^ “毎週水・木曜日に女性限定の特典割引プラン登場|岩舟ゴルフ倶楽部”. prtimes.jp. 2023年11月13日閲覧。
- ^ “ゼンケンレゾン株式会社(岩舟ゴルフ倶楽部)の株式譲渡に関するお知らせ”. www.zenken.co.jp. 2023年11月13日閲覧。
- ^ “ゴルフ会員権情報”. www.sakuragolf.co.jp. 2023年11月13日閲覧。