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鈴木豊 (ゴルファー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木 豊
Yutaka SUZUKI
基本情報
名前 鈴木 豊
生年月日 1946年7月1日
身長 162 cm (5 ft 4 in)
体重 57 kg (126 lb)
国籍 日本の旗 日本
経歴
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鈴木 豊(すずき ゆたか、1946年7月1日 - )は日本の元プロゴルファー

来歴

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1973年にプロ入りし[1]1974年の美津濃プロ新人で2位になったのが最高で、1975年アジアサーキット前までは約72万円しか稼いでいなかった[2] [3]

アジアサーキット開幕後は杉本英世河野高明と共にシンガポールオープンへ出場[2] [3]し、最終日には4番から3連続を含む7バーディーを挙げ、1番だけをボギーにする好調さ[2] [3]で、6アンダー66[2] [3]という猛烈なコースレコード[2] [3]を打ち立てる[4]。前日の5打差11位から大逆転[2] [3]し、謝敏男&郭吉雄中華民国の旗 中華民国)、マーティ・ボーエンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)、テッド・ボールオーストラリアの旗 オーストラリア)を抑えて初優勝を飾り[4]、賞金5905ドル日本円で約177万円を獲得[2] [3]

帰国後のペプシウィルソントーナメントでは3日目に67をマークし、吉川一雄ベン・アルダフィリピン)と並んでの8位タイ[5]に着けた。

1976年にはマレーシアダンロップマスターズで初日から首位を続け、ハル・アンダーウッド(アメリカ)とボビー・リム(マレーシアの旗 マレーシア)の激しい追い込みを辛うじて1打差に振り切って[6]海外2勝目を飾り[7]1977年の同大会では2アンダーのパー70を記録し、ザイナル・アビディノ(マレーシア)を1打差で破って、大会2連覇を達成すると同時に海外3勝目を挙げる[8]

国内では1976年の中部オープンで3日目に呂良煥(中華民国)と並んでの首位タイ[9]となり、最終日には陳健振(中華民国)の2位[10]に入る。

1982年デサントカップ北国オープンでは初日を青木基正謝永郁(中華民国)・新関善美と共に69をマークして3位タイ[11]でスタートし、2日目は藤木三郎鈴木規夫と並んでの6位タイ[12]、3日目は藤木と並んでの5位タイ[13]に着け、最終日には3位[14]に入った。

1985年日経カップ 中村寅吉メモリアルでは気温34.4度という酷暑の中でのラウンドで尾崎直道岩下吉久須貝昇中嶋常幸倉本昌弘尾崎将司鷹巣南雄に次ぎ、謝敏・藤木と並んで9位タイ[15]に入る。

1987年には愛知オープンで優勝し[1]静岡オープンでは呂良・湯原信光中村通・尾崎直・入江勉上原宏一海老原清治松井角次に次ぐ10位[16]に入った。

1988年にはテーラーメイド瀬戸内海オープン並木弘道・入江・川俣茂中村忠夫と並んでの9位タイ[17]中部オープンでは中村彰男時田陽充塩田昌宏に次ぐと同時に松井・伊藤正己と並んでの4位タイ[18]に入り、1996年東建コーポレーションカップ[19]を最後にレギュラーツアーから引退。

その後はシニア入りし、愛知県豊川市のパシフィックゴルフセンターでプロレッスンの指導を務めた[1]

主な優勝

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国内
  • 1987年 - 愛知オープン
海外
  • 1975年 - シンガポールオープン
  • 1976年、1977年 - マレーシアダンロップマスターズ

脚注

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  1. ^ a b c ゴルフスクール”. 2015年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 日刊スポーツ1975年3月24日鈴木でっかいプロ初優勝 66、コース新で大逆転
  3. ^ a b c d e f g 【日本男子の海外挑戦記・昭和編㉜】1974年以降、アジア・サーキットは日本選手の修行の場に”. m.facebook.com. 2023年8月12日閲覧。
  4. ^ a b “Newcomer Suzuki is shock Singapore Open golf winner”. The Straits Times: p. 26. (24 March 1975). https://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19750324-1.2.124 
  5. ^ 朝日新聞縮刷版p752 昭和50年5月25日朝刊14面「橘田弟、首位を保つ ペプシ・ウイルソン・ゴルフ(第三日)
  6. ^ 朝日新聞縮刷版p116 昭和51年4月4日朝刊14面「☆鈴木、逃げ切り優勝
  7. ^ “Suzuki Is Golf Victor”. The New York Times. (1976年4月4日). https://www.nytimes.com/1976/04/04/archives/suzuki-is-golf-victor.html 2020年1月24日閲覧。 
  8. ^ “Suzuki holds on”. The Spokesman Review: p. 17. (4 April 1977). https://news.google.com/newspapers?id=aUpOAAAAIBAJ&sjid=qu0DAAAAIBAJ&pg=1492%2C1984592 
  9. ^ 朝日新聞縮刷版p545 昭和51年7月17日朝刊17面
  10. ^ 朝日新聞縮刷版p576 昭和51年7月18日朝刊16面
  11. ^ 毎日新聞縮刷版p156 昭和57年8月6日朝刊18面
  12. ^ 毎日新聞縮刷版p184 昭和57年8月7日朝刊14面
  13. ^ 毎日新聞縮刷版p216 昭和57年8月8日朝刊18面「安田、中島抜き首位
  14. ^ 毎日新聞縮刷版p236 昭和57年8月9日朝刊14面「新井が逆転優勝 北国オープンゴルフ
  15. ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】川越カントリークラブ。酷暑のサバイバルゲームに生き残ったのは尾崎直道。1985年日経カップ中村寅吉メモリアル”. golfdigest-play.jp. 2023年7月1日閲覧。
  16. ^ フルリーダーズボード - 静岡オープン 1987 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年10月15日閲覧。
  17. ^ 朝日新聞縮刷版p1285 昭和63年3月28日朝刊23面「スミス逆転優勝 瀬戸内海オープン
  18. ^ フルリーダーズボード - 中部オープン 1988 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年7月1日閲覧。
  19. ^ 鈴木 豊選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年7月1日閲覧。

外部リンク

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