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鈴木良三 (画家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鈴木 良三(すずき りょうぞう、1898年3月29日 - 1996年10月19日)は、日本の画家茨城県水戸市出身。

来歴

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水戸市で病院長を務めていた父の三男として生まれる[1]。旧制茨城県立水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)を卒業して、1917年東京慈恵会医科大学に入学[1]。在学中、叔父の幼なじみの画家中村彝川端画学校で絵を学ぶ[1]。1922年に東京慈恵医科大学を卒業するも、画家の仲間らによる「金塔社」の結成に参加[1]。同年、帝展に初入選を果たす[1]1928年から1930年にかけてフランスに渡航する[1]。 1936年に結成された一水会有島生馬石井柏亭安井曾太郎らが参加)の展覧会には、複数にわたり作品を出品した[1]太平洋戦争中の1943年従軍画家を委嘱されてビルマに渡った[1]。1946年に一水会の会員となる[1]日展審査員も務めた[1]

1996年10月19日、肺炎により東京都中野区の病院で死去した。

戦争記録画について

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1944年、ビルマ国における記録として油彩画『衛生隊の活躍とビルマ人の好意』を製作。しかし戦後、GHQ軍国主義的であると判断されて他の作家の戦争画とともに没収1970年(昭和45年)、アメリカ合衆国から無期限貸与の形で返還され、東京国立近代美術館に収蔵された[2][3]

親族

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  • 保利耕輔(元衆議院議員)の養父[4]
  • 長男:禾甫(いねお)

著作

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 鈴木良三 - 東京文化財研究所(原出典は『日本美術年鑑』平成9年版、353頁)
  2. ^ 鈴木良三 1898 - 1996 SUZUKI,Ryozo 作品詳細”. 独立行政法人国立美術館. 2022年9月2日閲覧。
  3. ^ 25年ぶり戦争絵画 報道関係者に公開『朝日新聞』昭和45年(1970年)6月16日夕刊、3版、9面
  4. ^ 読売新聞西部本社 1996年10月21日朝刊19面 訃報欄