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鈴木貴久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木 貴久
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道旭川市神居[1]
生年月日 (1963-11-20) 1963年11月20日
没年月日 (2004-05-17) 2004年5月17日(40歳没)
身長
体重
175 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1984年 ドラフト5位
初出場 1986年5月4日
最終出場 2000年10月8日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 大阪近鉄バファローズ (2001 - 2004)

鈴木 貴久(すずき たかひさ、1963年11月20日 - 2004年5月17日)は、北海道旭川市出身のプロ野球選手外野手)。

経歴

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プロ入り前

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旭川大高2年時の1980年に、北北海道代表として夏の選手権に出場。同大会では、北北海道代表校として初めて2勝を挙げた。

高校卒業後、社会人野球電電北海道を経て、1984年プロ野球ドラフト会議近鉄バファローズから5位指名を受け入団した[1]

プロ入り後

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1985年はウエスタン・リーグで打率.296、8本塁打を記録[1]

1986年に頭角を現す。

1987年にレギュラーを獲得。以後、4年連続で20本塁打以上を記録するなど近鉄の主力として活躍し、「北海の荒熊」の異名をとった[2]

1988年10月19日川崎球場で行われたロッテオリオンズとのダブルヘッダーでは、第1試合の9回表二死二塁の場面で二塁走者として梨田昌孝適時打でホームインし、決勝点となる得点を挙げた(第2試合に引き分け優勝は逃した)。(→10.19

1997年4月8日のロッテとの開幕戦では大阪ドーム公式戦第1号本塁打を記録している。

2000年限りで現役を引退[1]。10月8日に引退試合が行われた[2]

引退後

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引退後も二軍打撃コーチとして近鉄に留まり、若手選手の育成に努めたが、2004年5月17日未明に急性気管支炎のため40歳で死去[3]。亡くなる前々日の15日のウエスタン・リーグ阪神戦(鳴尾浜)の練習後に体調不良を訴え帰宅し、翌16日は体調が回復せず練習を欠席、そしてその夜容体が急変し、17日の午前0時半ごろに病院に運ばれたが、そのまま帰らぬ人となった[4]

選手としての特徴・人物

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ここ一番での勝負強さと長打力を誇る打撃に加え、守備・走塁で魅せる体を張った全力プレーが最大の持ち味[2]。近鉄の9年ぶりのリーグ優勝が懸かった1989年10月14日福岡ダイエーホークス戦では9回表、フェンスに激突しながらも打球を好捕した[2]

開幕戦に強く、本塁打を1990年1996年1997年に打っている。このうち1997年は大阪ドーム公式戦第1号本塁打であった。また、1989年の日本シリーズでも第1戦に斎藤雅樹読売ジャイアンツ)から本塁打を打っている[2]

1986年7月13日1999年9月11日と2度にわたって工藤公康ノーヒットノーランを阻止している(前者=近鉄対西武9回1死から、後者=近鉄対ダイエー8回2死から)[5]

アルペンスキーの腕前は指導員レベルだった[2]

近鉄二軍打撃コーチに指導した坂口智隆はバットの先端が投手方向へ向く「ヘッドが入る」打撃フォームは、周囲から直すように何度も指導を受けたが、当時二軍打撃コーチだった鈴木だけは「それで大丈夫」と認めてくれた。坂口は「僕の打撃の師匠は鈴木さん。積極性のある打撃を作ってくれた。初球で簡単に終わってもいい。三振してもいいからファーストストライクは必ず振っていけ。見逃し三振だけはダメだぞと。ガンガンいくスタイルの土台は、鈴木さんが作ってくれた。近鉄時代には恩返しはできなかったけど、鈴木さんに鍛えてもらったからプロ20年をやってこれた。」[6]と述べている。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1986 近鉄 63 135 127 13 30 3 0 9 60 15 0 0 1 0 7 0 0 27 2 .236 .276 .472 .749
1987 119 487 450 46 118 21 0 21 202 54 4 4 3 3 25 4 6 89 11 .262 .308 .449 .757
1988 123 428 378 41 93 11 1 20 166 54 1 0 7 6 34 2 3 71 13 .246 .309 .439 .748
1989 118 452 412 50 118 15 1 20 195 57 1 3 1 3 32 1 4 64 6 .286 .341 .473 .815
1990 122 480 422 65 114 21 0 22 201 71 4 1 10 3 40 1 5 59 11 .270 .338 .476 .815
1991 127 495 431 50 116 20 2 18 194 63 2 1 1 3 55 2 5 75 10 .269 .356 .450 .806
1992 61 195 167 16 31 6 0 9 64 26 3 1 1 2 22 1 3 42 5 .186 .289 .383 .672
1993 86 304 276 28 58 9 0 10 97 37 0 1 1 2 24 0 1 45 8 .210 .274 .351 .625
1994 120 483 430 56 113 21 0 19 191 73 1 0 0 2 47 0 4 74 12 .263 .340 .444 .784
1995 123 481 423 35 107 12 0 16 167 50 1 0 5 2 45 1 6 69 11 .253 .332 .395 .727
1996 122 488 426 45 114 21 1 9 164 50 3 4 5 5 47 2 5 76 11 .268 .344 .385 .729
1997 125 489 436 45 114 18 3 10 168 53 9 4 7 2 42 1 2 67 10 .261 .328 .385 .713
1998 108 307 278 23 76 16 0 5 107 36 4 0 2 4 21 0 2 38 8 .273 .325 .385 .709
1999 73 113 101 6 22 2 0 4 36 16 0 0 1 1 8 1 2 10 7 .218 .286 .356 .642
2000 11 20 20 1 2 0 0 0 2 2 0 0 0 0 0 0 0 6 1 .100 .100 .100 .200
通算:15年 1501 5357 4777 520 1226 196 8 192 2014 657 33 19 45 38 449 16 48 812 126 .257 .324 .422 .746

表彰

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記録

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初記録
節目の記録
  • 100本塁打:1991年6月25日、対福岡ダイエーホークス10回戦(平和台球場)、6回表に杉本正から左越ソロ ※史上165人目
  • 150本塁打:1995年5月13日、対オリックス・ブルーウェーブ6回戦(藤井寺球場)、3回裏に星野伸之から左越同点2ラン ※史上100人目
  • 1000試合出場:1995年7月2日、対福岡ダイエーホークス16回戦(藤井寺球場)、4番・右翼手として先発出場 ※史上325人目
  • 1000安打:1996年9月17日、対千葉ロッテマリーンズ19回戦(藤井寺球場)、8回裏に成本年秀から左前安打 ※史上184人目
  • 1500試合出場:2000年4月16日、対西武ライオンズ2回戦(大阪ドーム)、5番・左翼手として先発出場 ※史上128人目
その他の記録

背番号

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  • 44 (1985年 - 1989年)
  • 2 (1990年 - 2000年)
  • 72 (2001年 - 2004年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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