鈴木重邦
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時代 | 平安時代末期 |
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生誕 | 嘉保2年(1095年) |
死没 | 天承元年(1131年) |
別名 | 宗円入道、重国 |
主君 | 源為義 |
氏族 | 藤白鈴木氏 |
父母 | 父・鈴木重元 母・越智親経の娘 |
兄弟 | 重邦、重次 |
妻 |
藤原宗永の娘 湯浅胤貞の娘? |
子 | 重倫、季重、重善、重定 |
鈴木 重邦(すずき しげくに)は、平安時代末期の武将。通称は刑部左衛門尉。
紀伊国名草郡藤白に居住し、源為義に属して武功を得たと伝わる。また、鳥羽上皇御幸時に衛府官として行宮のお供をし奉仕した。天承元年(1131年)に37歳で没した。法名は宗円入道。弟の鈴木重次は右兵衛少尉に任官され、源為義に属して保元の乱に参加している。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 穂積姓鈴木氏: 紀州德川二七〇年鈴木家系譜(鈴木淳介、1982)
- 寛政重修諸家譜
- 古代氏族系譜集成/中巻(宝賀寿男)