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長井元昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
長井元昭
時代 江戸時代初期
生誕 不詳[1]
死没 慶安2年6月1日1649年7月10日
別名 通称:半左衛門、五郎三郎、三郎右衛門
主君 毛利秀就
長州藩
氏族 大江姓長井氏
父母 父:長井就次
時盛
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長井 元昭(ながい もとあき)は、江戸時代初期の武士毛利氏家臣で長州藩士。父は長井就次

生涯

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毛利氏家臣である長井就次の子として生まれたが、元昭がまだ幼少であった慶長20年(1615年6月8日に父・就次が死去。幼少の元昭に代わって、祖父・元重の歳の離れた弟である就重が就次の正室と再婚して家督を相続した。

元和2年(1616年9月19日毛利秀就加冠状を受けて元服した[2]。その後、大叔父・就重から家督を譲られる。

慶安2年(1649年6月1日に死去。嫡男の時盛が後を継いだ。

脚注

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  1. ^ 慶安2年(1649年)に30歳で死去したという記述もあるが、父・就次慶長20年(1615年)に死去しているという記述と矛盾する。
  2. ^ 萩藩閥閲録』巻103「長井二郎右衛門」に収録されたこの時の毛利秀就の加冠状では、「元」の一字が与えられている。

参考文献

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