長井元重
表示
時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
---|---|
生誕 | 永禄10年(1567年) |
死没 | 寛永18年11月1日(1641年12月3日) |
改名 | 湯浅元重→長井元重 |
別名 | 通称:次郎五郎→藤右衛門尉 |
主君 | 毛利輝元→秀就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 藤原北家秀郷流湯浅氏→大江姓長井氏 |
父母 |
父:湯浅将宗 養父:長井就安 |
兄弟 | 元重、就重 |
妻 | 正室:長井就安の娘 |
子 | 就次 |
長井 元重(ながい もとしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。実父は湯浅将宗で、長井就安の婿養子となる。
生涯
[編集]永禄10年(1567年)、備後国の国人である湯浅将宗の嫡男として生まれる。天正17年(1589年)9月8日、毛利輝元から「藤右衛門尉」の官途名と「元」の偏諱を与えられた。
文禄2年(1593年)5月4日、文禄の役に従軍していた長井元保が朝鮮において戦死したことにより、長井元保の父・長井就安の娘と婚姻し、婿養子として長井氏の家督を相続した。
慶長20年(1615年)6月8日、嫡男の就次が父に先立って死去し、就次の嫡男・元昭はまだ幼少であったため、元重の歳の離れた弟である就重が就次の正室と再婚して家督を相続した。
参考文献
[編集]- 『萩藩閥閲録』巻103「長井二郎右衛門」