長尾景恒
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時代 | 南北朝時代、室町時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 貞治6年(1367年)12月21日 |
別名 | 景廉、景春 |
官位 | 弾正左衛門尉、豊前守 |
幕府 | 室町幕府 越後守護代 |
主君 | 上杉憲顕 |
氏族 | 長尾氏 |
父母 |
父:長尾景為、母:佐原明連娘? 養父:長尾景忠 |
兄弟 | 景恒、景直、景忠 |
子 |
新左衛門尉長景、高景、依景、 景晴(秀景)、宇佐美伯耆守室 |
長尾 景恒(ながお かげつね)は、南北朝から室町時代前期にかけての武将。上杉氏の家臣。越後長尾氏の祖。実弟に鎌倉・足利長尾氏の祖・景直。
出自
[編集]その出自、及び養父である関東長尾氏の祖・景忠との関係については以下の諸説がある。
- 長尾藤明(あるいは藤景)の子で景忠とは兄弟であったとする説。長尾景為の息子で景忠とは兄弟であったとする説。
- 別の長尾氏出身で、景忠とは従兄弟若しくは親戚であり、その実父である景為の養子となったとする説。
略歴
[編集]景恒は上杉憲顕の家臣として活躍し、『太平記』には長尾弾正という名で登場する。越後国守護代の地位を景忠から養子という形で譲り受けた。これが越後長尾氏の始まりである。
景恒には4人の男子がおり、その中で三男の依景は早世したが、長男の長景は上田長尾家の祖となり、次男の長尾高景は三条長尾家、府中長尾家の祖となり、三男の長尾景晴 (秀景)は古志長尾家の祖となって発展していった。