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長尾景恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
長尾景恒
時代 南北朝時代室町時代前期
生誕 不明
死没 貞治6年(1367年)12月21日
別名 景廉、景春
官位 弾正左衛門尉、豊前守
幕府 室町幕府 越後守護代
主君 上杉憲顕
氏族 長尾氏
父母 父:長尾景為、母:佐原明連娘?
養父:長尾景忠
兄弟 景恒景直景忠
新左衛門尉長景高景依景
景晴(秀景)、宇佐美伯耆守
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長尾 景恒(ながお かげつね)は、南北朝から室町時代前期にかけての武将上杉氏の家臣。越後長尾氏の祖。実弟に鎌倉・足利長尾氏の祖・景直

出自

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その出自、及び養父である関東長尾氏の祖・景忠との関係については以下の諸説がある。

  • 長尾藤明(あるいは藤景)の子で景忠とは兄弟であったとする説。長尾景為の息子で景忠とは兄弟であったとする説。
  • 別の長尾氏出身で、景忠とは従兄弟若しくは親戚であり、その実父である景為の養子となったとする説。

略歴

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景恒は上杉憲顕の家臣として活躍し、『太平記』には長尾弾正という名で登場する。越後国守護代の地位を景忠から養子という形で譲り受けた。これが越後長尾氏の始まりである。

景恒には4人の男子がおり、その中で三男の依景は早世したが、長男の長景上田長尾家の祖となり、次男の長尾高景三条長尾家府中長尾家の祖となり、三男の長尾景晴 (秀景)は古志長尾家の祖となって発展していった。