長崎市立上長崎小学校
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長崎市立上長崎小学校 | |
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北緯32度45分24.2秒 東経129度53分8.4秒 / 北緯32.756722度 東経129.885667度座標: 北緯32度45分24.2秒 東経129度53分8.4秒 / 北緯32.756722度 東経129.885667度 | |
過去の名称 |
第五大学区第一中学校区鳴滝小学校 桜馬場小学校 簡易城山小学校 上長崎村立上長崎尋常小学校 上長崎村立上長崎尋常高等小学校 長崎市立上長崎尋常高等小学校 長崎市立上長崎国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎市 |
設立年月日 | 1876年(明治9年)10月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210000037 |
所在地 | 〒850-0004 |
長崎県長崎市下西山町9番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長崎市立上長崎小学校(ながさきしりつ かみながさきしょうがっこう、Nagasaki City Kami-Nagasaki Elementary School)は、長崎県長崎市下西山町にある公立小学校。略称「上小」(かみしょう)。
概要
[編集]- 歴史
- 1876年(明治9年)に開校した「第五大学区第一中学校区鳴滝小学校」を前身とする。
- 学校教育目標
- スローガン「感じて考え、まずやってみる。できる!できる!」
- 校章
- 星(☆)を背景にし、中央に校名の「上」の文字を置いている。
- 校歌
- 3番まであり、3番の歌詞の中に、校名の「上長崎」が入っている。シーボルト宅跡に開設された歴史により「偉人の家の跡占めて」という歌詞がある。
- 校区
- 中学校区は長崎市立片淵中学校[1]。
沿革
[編集]- 1876年(明治9年)10月 - 上長崎村中川郷[2]のシーボルト学室跡の家屋で、「第五大学区第一中学校区鳴滝小学校」として開校。
- 1878年(明治11年)- 一旦閉校。
- 1880年(明治13年)- 馬場郷(現・桜馬場町)の天満宮社務所を借用し、「桜馬場小学校」として再開。
- 1882年(明治15年)- 馬場郷下道(現・桜馬場町155)に土地家屋を購入の上移転し、「簡易城山小学校」に改称。
- 1890年(明治23年)- 簡易城山小学校を廃止し、児童を長崎県師範学校附属小学校に委託。
- 1893年(明治26年)4月 - 長崎県師範学校附属小学校への委託を解消し、西山町三丁目[3]42番地に「上長崎村立上長崎尋常小学校」を設置。開校式を挙行。
- 1895年(明治28年)9月 - 生徒数の増加で校舎が手狭になったため、片淵町三丁目[4]56-58番地の場所に新校舎2棟を建設。
- 1898年(明治31年)- 市村分合により、100名ほどの児童を長崎市に移管。
- 1901年(明治34年)4月 - 高等科(4ヶ年)を設置し、「上長崎尋常高等小学校」と改称(尋常科4年・高等科2年)。
- 1902年(明治35年)- 本河内分教場を開設。
- 1903年(明治36年)8月 - 木場[5]分教場を開設。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、尋常科(義務教育期間)が4年から6年間に延長され、高等科の修業年限が2年となる。
- 1918年(大正7年)4月 - 長崎県師範学校代用附属小学校[6]となる。(5年間)
- 1920年(大正9年)10月 - 上長崎村の長崎市編入に伴い、「長崎市立上長崎尋常高等小学校」となる。
- 1938年(昭和13年)10月 - 西山町長崎市立高等女学校[7]跡(現在地)に4年生以上の児童を収容し、授業を開始。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「長崎市立上長崎国民学校」と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、「長崎市立上長崎小学校」(現在名)と改称。
- 1950年(昭和25年)6月 - 木場分校を新築移転。
- 1952年(昭和27年)4月 - 移築校舎が完成。
- 1969年(昭和44年)3月 - 木場分校を閉校。本校の新校舎が完成。
- 1972年(昭和47年)4月 - 体育館が完成。
- 1976年(昭和51年)11月 - 創立100周年記念式典を挙行。記念碑を建立。
- 2006年(平成18年)10月 - 創立130周年記念式典を挙行。
- 2007年(平成19年)4月 - 特別支援教室(病弱)を開設。
- 2009年(平成21年)2月 - AEDを設置。
- 2010年(平成22年)7月 - プールを解体。新校舎建設工事に着工。
- 2011年(平成23年)9月 - 新校舎(第一期)が完成し、移転。長崎市立坂本小学校との親子方式[8][9]給食を開始。
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)1月 - 太陽光発電システム設置工事開始(~4月)。
- 2014年(平成26年)11月 - 校舎エレベーター設置工事開始(~2015年3月)。
- 2015年(平成27年)
- 2月 - 創立140年記念式典挙行し、記念碑建立。
- 12月 - タブレット型パソコンの設置・設定。同月、教室棟校舎外壁工事(~2016年3月)。
- 2019年(令和元年)
- 8月 - 教室棟各教室及び管理棟理科室エアコン設置(使用開始は9月から)。
- 9月 - 日本で開催されたラグビーワールドカップで、イングランドチームが学校訪問し、交流を行った。
アクセス
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 最寄りの国道・県道
- 国道34号
- 長崎県道235号昭和馬町線(西山通り) - 上長崎小学校はこの道路沿いにある。
周辺
[編集]- 長崎市立伊良林小学校
- 長崎市立片淵中学校(以前は県道235号をはさんですぐの場所にあった[10]が、移転して跡地は済生会長崎病院となっている。)
- 長崎市立桜馬場中学校
- 長崎県立鳴滝高等学校
- 長崎大学片淵キャンパス
- 長崎西山郵便局 - 2013年(平成25年)3月29日に閉局
- 済生会長崎病院
- 鎮西大社諏訪神社
- 校舎跡地公園(長崎県立長崎高等女学校・長崎県立長崎東高等学校西山校舎跡地[10])
- 西山川
参考資料
[編集]- 「郷土教授資料調査」p.30(1916年(大正5年)5月27日発行,西彼杵郡教育会)- 国立国会図書館近代デジタルライブラリーウェブサイト コマ番号21
脚注
[編集]- ^ 長崎市立小・中学校 校区一覧(PDF)- 長崎市教育委員会ウェブサイト
- ^ 現・長崎市鳴滝
- ^ 1992年(平成4年)の町界町名変更により、西山一-四丁目となった。
- ^ 1981年(昭和56年)11月1日の第21回町界町名変更の際に片淵二-五丁目となった。
- ^ 読みは「こば」。
- ^ 現在で言う長崎大学教育学部附属小学校の代用。
- ^ 現在の長崎県立長崎東高等学校、長崎県立長崎西高等学校の源流となる学校の1つ。
- ^ 調理場を持つ自校方式の学校が、調理場を持たない学校の給食調理も行う方式。自校方式とセンター方式の中間形態。調理場を持つ方が「親」、調理場を持たない方が「子」となり、一般に距離の近い学校同士で行われる。
- ^ 上長崎小学校が校舎(給食室を含む)改築中のため、坂本小学校が親、上長崎小学校が子となり、上長崎小学校の給食室が完成するまでの間、給食の調理・配送を行っている。
- ^ a b c 「長崎東高・西山校舎跡地を訪ねて」(長崎東高等学校在京同窓会ウェブサイト)に解体前の旧校舎の写真が掲載されている。