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長崎市立為石小学校

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長崎市立為石小学校
地図北緯32度38分37.2秒 東経129度50分17.3秒 / 北緯32.643667度 東経129.838139度 / 32.643667; 129.838139座標: 北緯32度38分37.2秒 東経129度50分17.3秒 / 北緯32.643667度 東経129.838139度 / 32.643667; 129.838139
過去の名称 第五大学区第二中学区為石小学校
為石学区公立中等為石小学校
尋常為石小学校
為石尋常小学校
為石尋常高等小学校
為石村国民学校
為石村立為石小学校
三和町立為石小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎市
設立年月日 1873年(明治6年)10月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210001241 ウィキデータを編集
所在地 851-0405
長崎県長崎市為石町2119番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎市立為石小学校(ながさきしりつ ためししょうがっこう、Nagasaki City Tameshi Elementary School)は、長崎県長崎市為石町にある公立小学校。略称は「為石小」(ためししょう)。

概要

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歴史
1873年明治6年)に開校した「為石小学校」を前身とし1875年(明治8年)に創立。2013年平成25年)に創立140周年を迎えた。
学校教育目標
のしく あてをもって っかり 学ぶ子」
校章
ビワの実と葉、そして海の波を組み合わせたものを背景にして、中央に校名の「為」の文字を置いている。
校歌
作詞は林留一(選:島内八郎)、作曲は寺崎良平による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「為石」が登場する。
校区
長崎市立三和中学校校区[1]

沿革

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  • 1873年(明治6年)10月 - 為石村字射場の大久保騏一郎邸を教場として学童教育を開始。
  • 1875年(明治8年) - 文部省によって「第五大学区第一中学区為石小学校」として正式に認可される。
  • 1877年(明治10年)- 暴風のため校舎が倒壊し、宝性寺を仮校舎とする。
  • 1878年(明治11年)- 仮校舎を為石神社に移転。
  • 1879年(明治12年)4月 - 教場を増設。
  • 1882年(明治15年)4月1日 - 教育令の施行により、「為石学区公立中等為石小学校」と改称。
  • 1885年(明治18年)- 現在地に校舎を新築。
  • 1887年(明治20年)- 小学校令の施行により、「為石学区尋常為石小学校」と改称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、為石村立の小学校となる。
  • 1892年(明治25年)4月1日 - 小学校令の改正により、「為石尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。2年制の補習科を設置。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 小学校令の一部改正により、義務教育期間が4年から6年に延長されたため、尋常科を6年制に改正(補習科を廃止)。
  • 1910年(明治43年)3月 - 新校舎が完成。
  • 1911年(明治44年)4月1日 - 2年制の高等科を併置し、「為石尋常高等小学校」に改称。
  • 1914年大正3年)
    • 4月 - 尋常科2年児童に半日2部教授を開始。
    • 9月 - 尋常科3年から6年の児童に全日2部教授を開始。
  • 1915年(大正4年)
    • 5月 - 尋常科3年から6年の児童を対象にした全日2部教授を終了。
    • 9月 - 実習地の整備および周囲の植樹を実施。
  • 1916年(大正5年)12月 - 尋常科2年児童を対象にした半日2部教授を終了。
  • 1918年(大正7年)4月 - 子守り学級を編成。
  • 1919年(大正8年)- 子守り学級を廃止。
  • 1929年昭和4年)4月 - 校旗を制定。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、 「為石村国民学校」と改称。 尋常科を初等科に改称(初等科6年・高等科2年)。
  • 1943年(昭和18年)7月 - 二宮尊徳像が寄贈される。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
      • 旧・為石村国民学校の初等科が改組され、「為石村立為石小学校」が発足。
      • 旧・為石村国民学校の高等科が改組され、為石村立為石中学校(新制中学校)が発足。当面の間、小学校に併設されることとなる。
    • 9月 - 茂木町から藤田尾(とうだお)名が為石村に編入したため、藤田尾地区の児童が茂木町立千藤小学校から転入。
  • 1948年(昭和23年)4月 - PTAを設立。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 為石中学校が統合[2]により廃止される。新設中学校[2]の校舎が完成するまでの間、為石校舎として使用を継続。
  • 1950年(昭和25年)6月 - 新設中学校[2]の校舎が為石地区に完成し、中学校による為石校舎の使用が終了。併設を解消。
  • 1955年(昭和30年)2月11日 - 蚊焼村・川原村・為石村の3村合併で三和町が発足したことにより、「三和町立為石小学校」と改称。
  • 1962年(昭和37年)10月 - ミルク給食を開始。
  • 1966年(昭和41年)3月 - 鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎が完成。明治43年完成の木造校舎を解体。
  • 1967年(昭和42年)5月 - 完全給食を実施。
  • 1976年(昭和51年)
    • 2月 - 鉄筋コンクリート造2階建て校舎(特別教室)が完成。
    • 3月 - 西側旧校舎を解体。
  • 1977年(昭和52年)1月 - 体育館が完成。
  • 2005年(平成17年)1月4日 - 三和町が長崎市に編入されたことにより、「長崎市立為石小学校」(現校名)に改称。

アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺

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脚注

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  1. ^ 長崎市 市立小・中学校校区(PDF) - 長崎市役所ウェブサイト
  2. ^ a b c 川原村立川原中学校(川原小学校に併設)・為石村立為石中学校(為石小学校に併設)・蚊焼村立蚊焼中学校(蚊焼小学校に併設)の3校が統合され、「川原・為石・蚊焼三村組合立岳南中学校」が発足した。1955年(昭和30年)の山村合併により、「三和町立三和中学校」に改称。現長崎市立三和中学校
  3. ^ 「為石浄水場跡地」企業用地を軸に活用検討へ 長崎市”. 長崎新聞 (2022年9月8日). 2022年9月8日閲覧。

参考文献

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  • 「三和町郷土誌」(三和町, 1986年(昭和61年)1月)

関連事項

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外部リンク

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