長崎市立稲佐小学校
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長崎市立稲佐小学校 | |
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北緯32度45分22.8秒 東経129度51分38.9秒 / 北緯32.756333度 東経129.860806度座標: 北緯32度45分22.8秒 東経129度51分38.9秒 / 北緯32.756333度 東経129.860806度 | |
過去の名称 |
1. 第五大学区長崎連管内第一中学校区彼杵郡長崎淵小学校 2. 稲佐尋常小学校 3. 稲佐尋常高等小学校 4. 稲佐尋常小学校 5. 長崎市稲佐国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎市 |
設立年月日 | 1882年(明治15年)12月7日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210000162 |
所在地 | 〒852-8011 |
長崎県長崎市稲佐町11番地1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長崎市立稲佐小学校(ながさきしりつ いなさしょうがっこう、Nagasaki City Inasa Elementary School)は、長崎県長崎市稲佐町にある公立小学校。
沿革
[編集]- 1882年(明治15年)12月7日 - 第五大学区長崎連管内第一中学校区彼杵郡長崎淵小学校(下等小学校)が創立。飽浦小学校を統合。
- 1895年(明治28年) - 淵小学校が廃止され、稲佐尋常小学校と飽浦尋常小学校に分離される。
- 1896年(明治29年)5月 - 現在地に新築校舎が完成。
- 1898年(明治31年) - 長崎市に編入される。
- 1901年(明治34年) - 就学児童数の増加に伴い、淵高等小学校が新設。
- 1908年(明治41年)4月6日 - 淵高等小学校が稲佐尋常小学校と統合され、稲佐尋常高等小学校に改称。
- 1907年(明治40年) - 就学児童の増加に校舎施設が追い付かず、全市の各小学校尋常科第1学年に2部授業を実施。
- 1918年(大正7年)10月31日 - スペインかぜの大流行で、長崎市内の小学校が臨時休校となる。
- 1922年(大正11年)12月7日 - 校歌が制定。
- 1923年(大正12年) - 長崎市、尋常小学校の授業料を全廃。
- 1930年(昭和5年)6月28日 - 北部校庭が完成。
- 1940年(昭和15年)4月1日 - 高等科を新設の淵高等小学校[2]へ移管。再び稲佐尋常小学校となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、長崎市稲佐国民学校と改称。
- 1945年(昭和20年)8月9日 - 長崎市に投下された原子爆弾により、全木造校舎が倒壊するなど大きな被害を受ける。
- 1947年(昭和22年) - 学制改革に伴い、長崎市立稲佐小学校(現校名)に改称。
- 1953年(昭和28年)3月20日 - 校旗が復元される。
- 1962年(昭和37年)12月7日 - 創立80周年記念式典を挙行。
- 1980年(昭和55年)4月 - 体育館が完成。
- 1981年(昭和56年)1月 - プールが完成。
- 1982年(昭和57年)12月7日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1983年(昭和58年)2月12日 - 「平和の碑」を建立。
- 1991年(平成3年)9月1日 - 校舎新築・特別教室改修のため、プレハブ仮校舎での授業を開始。
- 1992年(平成4年)
- 8月20日 - 新校舎が完成。校舎は三菱重工業長崎造船所で建造された豪華客船「クリスタルハーモニー号」をイメージしてデザインされた[3]。
- 9月1日 - 新校舎での授業を開始。
- 1993年(平成5年)5月29日 - 新築校舎記念式典を挙行。
- 1994年(平成6年) - 新校舎が完成。オープンスペース、和室、屋上プールを備える。
- 2002年(平成14年)11月17日 - 創立120周年記念式典を挙行。
- 2022年(令和4年)11月13日 - 創立140周年記念式典を挙行[4]
教育目標
[編集]- 「豊かな心とすこやかな身体をもち,自ら学び確かな学力を身につけた児童の育成を図る」
校章
[編集]- 校名にちなみ稲穂が、中央の「稲」(旧字体)の文字を囲んだ図柄となっている。
校歌
[編集]著名な卒業生
[編集]- 福山雅治(シンガーソングライター・俳優)
- 増田珠(福岡ソフトバンクホークス)
原子爆弾の被害
[編集]- 爆心地から南へ約2kmの稲佐国民学校では木造の建物が倒壊、鉄筋コンクリート3階建ての校舎の窓ガラス、木枠、鉄製の窓枠が吹き飛び、数多くの児童や職員が死亡した。1学期始めには、36学級1,000名を越す児童数であったが、縁故疎開者・爆死者・負傷者・他の地区への転居者などで児童数は激減し、9月になり学校が再開された際に登校した児童は約120人であった。
- 稲佐国民学校より北部にあり爆心地に近く、より大きな被害を受けた城山国民学校(現 長崎市立城山小学校)・淵国民学校(長崎市立淵中学校)・銭座国民学校(長崎市立銭座小学校)は、校舎が使用不能となったため、稲佐国民学校の校舎を利用して授業が開始された。
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 最寄りの国道・県道
- 国道202号線(三菱通り)沿い
周辺
[編集]- 稲佐橋
- 浦上川
- 稲佐警察署
- 三菱重工業長崎造船所スポーツセンター
- 総合体育館、武道場、テニスコート、球場、記念会館
- 淵神社(長崎ロープウェイ)
脚注
[編集]- ^ 現在淵神社のそばには長崎ロープウェイの駅が設置されている。
- ^ 1908年(明治41年)統合から32年後の1940年(昭和15年)4月に再び設置され、翌年「淵国民学校」となったのち、戦後長崎市立淵中学校となった。
- ^ 長崎市の都市景観 -長崎市ウェブサイト
- ^ 最高の創立140周年記念式典&どんぐりフェスティバル!
- ^ 令和4年10月ダイヤ改正について - 長崎バスグループ(2022年10月9日閲覧)