長福寿寺
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長福寿寺 | |
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所在地 | 千葉県長生郡長南町長南969 |
位置 | 北緯35度24分6.5秒 東経140度13分46秒 / 北緯35.401806度 東経140.22944度 |
山号 |
三途河頭 極楽東門 蓮華台上 阿弥陀坊 太平埜山(さんづがとう ごくらくとうもん れんげだいじょう あみだぼう たいへいやさん) 東叡山 |
院号 |
本実成院 本實成院(ほんじつじょういん) |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 伝・798年(延暦17年) |
開山 | 伝・最澄 |
開基 | 伝・桓武天皇 |
正式名 | 三途河頭極楽東門蓮華台上阿弥陀坊太平埜山 本実成院 長福寿寺 |
別称 |
べにばな寺(紅花寺) 吉ゾウくんのお寺 |
札所等 | 上総国薬師如来霊場19番 |
文化財 | 慈恵大師像(県指定重要文化財) |
法人番号 | 3040005010814 |
長福寿寺(ちょうふくじゅじ)は、千葉県長生郡長南町長南にある、天台宗の寺院。上総国薬師如来霊場の第19番札所。山号は三途河頭 極楽東門 蓮華台上 阿弥陀坊 太平埜山 本実成院。
歴史
[編集]寺伝によれば、798年(延暦17年)桓武天皇の勅願により、最澄(伝教大師)によって創建されたという。中世においては三大談義所(檀林)となり、西に比叡山、東に長福寿寺(当時は東叡山と称した)ありと称せられ、また、房総三国における天台宗の大本山として末寺308か寺を有し、各寺院を統理していた大寺院である。
梶井門跡(三千院、京都)、毘沙門堂(京都)の両門主も当山の住職になり、その縁をもって「三途河頭極楽東門蓮華台上阿弥陀坊太平埜山本実成院長福寿寺」という勅号を賜ったという。
1571年(元亀2年)織田信長による比叡山焼き討ちに際して、当時の第17代学頭・豪山僧正は比叡山に木材を寄進し、その材木によって「根本中堂」が再建されたという。その後、徳川家光の援助のもとに現在の根本中堂が造営され、解体した材木によって建てられた長福寿寺の本堂は、その縁をもって「根本中堂」の号を許されている。
江戸時代には、江戸幕府将軍より寺領50石が寄進され、10万石の格式が与えられていたと伝えられており、年頭の礼には御城書院独礼席の待遇を受けていた。
文化財
[編集]交通アクセス
[編集]高速道路での最寄りインターチェンジは首都圏中央連絡自動車道(圏央道)茂原長南インターチェンジとなる。
- HMC東京(長南行き)愛宕町バス停から徒歩3分。
- 小湊鉄道(長南営業所・牛久駅・鶴舞駅・循環器病センター行き)愛宕町バス停から徒歩3分。
- 東京駅八重洲口前、横浜駅・羽田空港から高速バス「長南駐車場」下車。