コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

隅田川馬石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

隅田川 馬石(すみだがわ ばせき)は、落語家名跡。当代は四代目。

四代目によれば、両国の横網にある馬を繋ぎとめる石と隅田川のほとりの場の石から出来た名前で、初代金原亭馬生が弟子をつれて隅田川のほとりを散歩している時に思いついたものとされる。


四代目 隅田川すみだがわ 馬石ばせき
Sumidagawa Baseki the 4th
四代目 隅田川(すみだがわ) 馬石(ばせき) Sumidagawa Baseki the 4th
四代目隅田川馬石定紋「裏梅」
本名 村上むらかみ さとし
生年月日 (1969-07-14) 1969年7月14日(55歳)
出身地 日本の旗 日本兵庫県西脇市
師匠 六代目五街道雲助
弟子 隅田川わたし
名跡 1.五街道わたし
(1993年 - 1997年)
2.五街道佐助
(1997年 - 2007年)
3.四代目隅田川馬石
(2007年 - )
出囃子 岸の柳
活動期間 1993年 -
所属 落語協会
受賞歴
平成11年度北とぴあ若手落語家競演会奨励賞(1999年)
第12回 林家彦六賞(2007年)
第67回文化庁芸術祭大衆芸能部門新人賞(2012年)
第76回文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞(2021年)

四代目 隅田川 馬石1969年7月14日 - )は落語協会落語家。本名:村上 覚兵庫県西脇市出身。出囃子は「岸の柳」。

経歴

[編集]

兵庫県西脇市黒田庄町出身。兵庫県立西脇工業高等学校卒業後k1991年6月、石坂浩二主宰の劇団急旋回に入団。

1993年10月に五街道雲助に入門、前座名は「わたし」。初高座は『道灌』。

1997年9月に二ツ目に昇進、「佐助」に改名。柳家喬之助はちょうど同期にあたる。

2007年3月に柳家喬之助古今亭菊志ん六代目春風亭柳朝柳家我太楼と共に真打に昇進、「四代目隅田川馬石」襲名。

芸歴

[編集]
  • 1993年10月 - 五街道雲助に入門、前座名「わたし」。
  • 1997年9月 - 二ツ目に昇進、「佐助」と改名。
  • 2007年3月 - 真打に昇進、四代目隅田川馬石を襲名。

受賞歴

[編集]

人物

[編集]

口の上の大きなホクロが印象的で、劇団にいた頃は石坂に「鼻クソ」と呼ばれ、かわいがられていた。雑誌『落語ファン倶楽部』を参照すると富士通にも勤めていたことがある模様。

インプレスTV『インターネット落語会』の特集で、二ツ目の昇進の際に既にこの名跡を継ぐ話は出ていたが、可愛げがないから止めたというエピソードが語られている。

「馬石」のアクセントは本人によると、語頭(「せき」)に置くとのこと。

入船亭扇里がいると、20年前の自分を思い出し叱りたくなってしまう。

2022年8月、自身初の弟子が入門。自身の前座名を与え「隅田川わたし」と名付ける。見習い期間の後、翌2023年5月下席から楽屋入りしている。

演目

[編集]

廓噺

[編集]

弟子

[編集]

前座

[編集]
  • 隅田川わたし

出演作品

[編集]

映画

[編集]

テレビ番組

[編集]

ウェブテレビ

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 令和3年度(第76回)文化庁芸術祭賞受賞一覧(参加公演)” (PDF). 文化庁 (2021年12月24日). 2021年12月25日閲覧。
  2. ^ Inc, Natasha (2020年4月30日). “5時間の「ABEMA寄席」に柳家さん喬、入船亭扇遊、林家彦いち、隅田川馬石ら(コメントあり)”. お笑いナタリー. 2020年5月1日閲覧。

出典

[編集]

外部リンク

[編集]