藤原忠教
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(難波忠教から転送)
時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 承保3年(1076年) |
死没 | 永治元年10月25日(1141年11月25日) |
改名 | 忠教→覚禅(法名) |
別名 | 四条中納言、四条民部卿 |
官位 | 正二位、大納言 |
主君 | 堀河天皇→鳥羽天皇→崇徳天皇 |
氏族 | 藤原北家御堂流難波家 |
父母 | 父:藤原師実、母:藤原永業の娘 |
兄弟 |
覚実、仁源、師通、家忠、覚信、経実、静意、澄真、能実、忠教、仁澄、尋範、行玄、増智、永実、玄覚、忠長、藤原基隆室など 養兄弟:賢子、篤子内親王 |
妻 |
正室:源季宗の娘 継室:藤原清綱の娘、源俊明の娘、 大池成継の娘、藤原時継の娘 藤原為房の娘 |
子 |
忠基、教長、難波頼輔、忠兼、師教、 親忠、有教、教良、明源、基教、教仁、教智、教覚、寛敒、藤原通季室 |
藤原 忠教(ふじわら の ただのり)は、平安時代後期の公卿・歌人。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原師実の五男。官位は正二位・大納言。難波家の祖。
経歴
[編集]応徳3年(1086年)従五位下に叙爵。美作守・尾張守を経て、寛治5年(1091年)左近衛権少将に任ぜられる。寛治7年(1093年)斎院長官、寛治8年(1094年)従四位下、嘉保3年(1096年)左近衛中将に叙任ののち、康和元年(1099年)蔵人頭に任ぜられ、翌康和2年(1100年)従三位・参議に叙任され公卿に列す。
天永2年(1111年)権中納言、保安3年(1122年)権大納言を経て、大治5年(1130年)正二位、保延2年(1136年)大納言に至る。この間、議政官として左右中将・讃岐権守・右兵衛督・検非違使別当・民部卿などを兼任した。また、太皇太后宮大夫・中宮大夫として、太皇太后・藤原寛子(後冷泉天皇后)や中宮・藤原聖子(崇徳天皇后)にも仕えた。
保延7年(1141年)3月に病により鳥羽上皇と同日に出家。法名は覚禅。同年10月25日薨去。享年66。
人物
[編集]和歌に優れ、寛治7年(1093年)郁芳門院根合や、康和4年(1102年)堀河院艶書合といった歌合に出詠。勅撰歌人として『金葉和歌集』(2首)以下の勅撰和歌集に8首が入集している[1]。また、笛にも秀で、当時の御遊にて笛を吹いた回数は同時代の名手藤原宗輔に次いだ[2]。
一方で、素行に問題があり、粗暴な振る舞いが多く、度々乱闘騒ぎを起こしたという[要出典]。
官歴
[編集]- 応徳3年(1086年) 日付不詳:叙爵(従五位下)
- 寛治2年(1088年) 7月:民部権大輔
- 寛治3年(1089年) 正月:美作守
- 寛治4年(1090年) 8月:尾張守
- 寛治5年(1091年) 8月:左近衛権少将(尾張守如元)
- 寛治7年(1093年) 2月16日:正五位下(郁芳門院入内日賞)。4月:斎院長官(左権少将・尾張守如元)
- 寛治8年(1094年) 3月30日:従四位下(郁芳門院御給)。12月17日:従四位上
- 嘉保2年(1095年) 正月2日:正四位下(白河院行幸賞)。正月:兼尾張守、
- 嘉保3年(1096年) 正月:近衛中将(尾張守如元)。4月8日[注釈 1]:禁色
- 承徳元年(1097年) 4月:斎院長官を辞任
- 康和元年(1099年[注釈 2]) 12月:蔵人頭
- 康和2年(1100年) 7月17日:参議(左中将如元)。7月23日:従三位(造宮賞)。7月24日:右近衛中将。
- 康和3年(1101年) 2月:兼讃岐権守。2月13日:服解(父の薨去)。3月15日:復任
- 康和5年(1103年) 11月:左近衛少将
- 康和6年(1104年) 正月28日:正三位(甥・忠実の譲り、永長2年春日行幸賞)
- 長治3年(1106年) 3月11日:兼讃岐権守
- 天永2年(1111年) 正月23日:権中納言
- 天永3年(1112年) 正月26日:兼太皇太后宮権大夫
- 天永4年(1113年) 11月:兼右兵衛督
- 永久3年(1115年) 4月:兼太皇太后宮大夫
- 永久4年(1116年) 5月5日:検非違使別当。12月22日[注釈 3]:左兵衛督
- 元永2年(1119年) 7月30日:従二位(賀茂行幸行事賞)
- 保安2年(1121年) 正月22日:若宮勅別当。6月26日:兼民部卿。
- 保安3年(1122年[注釈 4]) 12月17日:権大納言(民部卿如元)
- 大治3年(1128年) 12月5日:服解(母の死去)
- 大治4年(1129年) 1月23日:復任
- 大治5年(1130年) 4月18日:正二位(松尾北野行幸行事賞)
- 長承3年(1134年) 3月7日:兼中宮大夫
- 保延2年(1136年) 12月9日:大納言(民部卿・中宮大夫如元)
- 保延7年(1141年) 3月10日:出家
系譜
[編集]- 父:藤原師実
- 母:藤原永業の娘(藤原南家貞嗣流出身)
- 妻:源季宗の娘
- 妻:藤原清綱の娘
- 妻:源俊明の娘
- 次男:藤原教長(1109-?)
- 妻:大池成継の娘
- 妻:藤原時継の娘
- 男子:明源
- 妻:藤原為房の娘
- 生母不明の子女
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
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