青山幸通
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青山 幸通(あおやま よしみち、元和5年(1619年) - 延宝4年10月2日(1676年11月7日))は、江戸時代前期の旗本・寄合。官位は従五位下、丹後守。通称は左近、喜右衛門。妻は松平忠直(桜井松平家)の娘、杉原長房の娘、伊丹勝長の娘。子に秘成、亀之丞、娘(青山忠重室)、娘(天野長頼室)がいる。
生涯
[編集]元和5年(1619年)、同年の加増により大名となった青山幸成の二男として誕生した。母は福永氏。父・幸成は寛永20年(1643年)に死去する前に次男・幸通、三男・幸正、四男・幸高にそれぞれ3000石、2000石、1000石を分与して青山三分家を創設し、2月16日に死去した。家督を継いだ長男・幸利は遺言を守り、同年6月7日、弟に領地を分与した。幸通は、摂津国川辺郡・武庫郡内3,000石を分知され、別家を創設した。
正保2年(1645年)、徳川家綱の小姓となる。慶安4年(1651年)8月16日、従五位下丹後守に叙任される。明暦2年(1656年)7月9日に小姓組番頭、万治元年(1658年)6月21日に書院番頭に任ぜられる。
延宝4年(1676年)、死去。享年58。家督は長男・秘成が継いだ。
出典
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第729