青山秘成
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青山 秘成(あおやま やすなり、万治元年(1658年) - 享保17年7月13日(1732年9月1日))は、江戸時代前期から中期の旗本・寄合。官位は従五位下、丹後守、伊賀守、備後守。妻は川勝隆尚の養女。初名は幸能、基成。通称は内記。号は壽久。養子に幸覃(青山幸高六男)、養女に安部信賢室(実父:青山忠重)がいる。
生涯
[編集]万治元年(1658年)、青山幸通の子として生まれる。延宝4年(1676年)1月12日に父・幸通の遺領の内、2,500石を継ぎ、500石は弟・亀之丞に分与した。貞享2年(1685年)1月22日に小姓組組頭、貞享4年(1687年)12月15日に小姓組番頭となり、同年12月25日に従五位下丹後守に叙任される。元禄3年(1690年)7月3日、書院番番頭に移り、元禄9年(1696年)4月14日、側衆に任ぜられる。
元禄13年(1700年)正月、1,000石を加増。享保5年(1720年)4月5日、駿府城代に任ぜられる。2,000石を加増され、合わせて5,500石となる。享保10年(1725年)3月15日、職を辞する。同年6月、駿河国内の領地を下総国香取郡・海上郡に移される。享保12年(1727年)5月2日に致仕し、家督は養子の幸覃が継いだ。
出典
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第729