青村真明
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青村 真明(あおむら しんめい[1]、1924年3月2日[2] - 1953年5月13日[3])は、日本の歴史学者。専攻は近代日本思想史[3]。
経歴
[編集]東京生まれ。甲子郎と名付けられる。1937年に父親の奨めにより僧籍に入り、真明と改名する[4]。旧制麻布中学校卒業[3]後、1941年に第三高等学校高等科文科甲類に入学[5][6]し、1943年に卒業[2]。1943年10月に東京帝国大学文学部国史学科入学するも、1944年8月から1945年4月まで土浦海軍航空隊入隊、ついで同年6月まで横須賀海軍通信学校を経て、松山海軍基地で終戦を迎える[7]。同年10月に復学し、国史研究室の民主改革に努め「青村時代」と称された。卒業論文「所謂『明治四十年代』の一考察」をまとめ[8]、1948年9月卒業[2][9]。
戦後、東大学生歴史学研究会を設立し、また服部之総を中心として設立された日本近代史研究会の同人として、「画報近代百年史」全18巻の執筆編集にあたった[3]。東京帝国大学国史学科の同級生には、色川大吉などがいる。
著作
[編集]青村眞明遺稿集刊行会 編『青村眞明遺稿集』日本近代史研究会、1954年。 NCID BA4236047X。
肖像
[編集]- 東大十八史会 編『学徒出陣から五十年』揺籃社、1994年。ISBN 494643013X。巻頭の集合写真「国史研究室の群像 昭和22年」にある。
- 川村善二郎「歴史の教訓に学ぶ」『Peace あさかわ 浅川地下壕の保存をすすめる会ニュース』No.31、2002年 - ウェイバックマシン(2016年12月8日アーカイブ分)1952年の日本近代史研究会による「画報近世三百年史」編集会議の集合写真に写っている。
参考文献
[編集]- 署名なし「青村真明氏」『歴史評論(民主主義科学者協議会編集)』第46号、河出書房、1953年、76頁。
- 色川大吉「よみがえる研究室―青村真明の遺稿を中心に」『学徒出陣の記録:あるグループの戦争体験』中央公論社〈中公新書〉、1968年、202-215頁。ISBN 4121001672。
- 色川大吉「青村真明 夭逝した学究」『追憶のひとびと:同時代を生きた友とわたし』街から舎、2012年、183-186頁。ISBN 9784939139154。
- 色川大吉「青村真明 惜しまれる近代史の偉才、二〇代で死す」『色川大吉人物論集:めぐりあったひとびと』日本経済評論社、2013年、67-73頁。ISBN 9784818823068。
- 東大十八史会 編「十八史会員の戦争体験」『学徒出陣の記録:あるグループの戦争体験』中央公論社〈中公新書〉、1968年、216-220頁。ISBN 4121001672。
- 林屋辰三郎、朝尾直弘、大山喬平「戦中戦後 京都の日本史学界(下):国史学界の今昔42」『日本歴史』第582号、吉川弘文館、1996年、34-53頁、NAID 40003068355。
- 東京大学 (1950), 『東京大學卒業生氏名録』、1950.11、国立国会図書館デジタルコレクション, 東京大学, p. 486, 全国書誌番号:20015819
脚注
[編集]- ^ Cinii Booksの青村眞明遺稿集刊行会 1954の書誌による
- ^ a b c 「青村真明年譜」(青村眞明遺稿集刊行会 1954, pp. 120–121)
- ^ a b c d 署名なし 1953
- ^ 中島利一郎「靑村家の由来」(青村眞明遺稿集刊行会 1954, pp. 91–94)
- ^ 『官報』第4281号、昭和16年4月17日、p.764、『第三高等学校一覧・京都臨時教員養成所一覧 昭和16年度』第三高等学校、1942年、p.113
- ^ 当時、第三高等学校教授だった林屋辰三郎によると青村は林屋の授業を受けていたとのことである(林屋辰三郎, 朝尾直弘 & 大山喬平 1996)
- ^ 東大十八史会 1968
- ^ 色川大吉 2013
- ^ 東京大学 1950, 『東京大學卒業生氏名録』、1950.11、国立国会図書館デジタルコレクション 2024年9月15日閲覧。.