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青森県立青森東高等学校

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青森東高校から転送)
青森県立青森東高等学校
地図北緯40度50分5.15秒 東経140度48分18.3秒 / 北緯40.8347639度 東経140.805083度 / 40.8347639; 140.805083座標: 北緯40度50分5.15秒 東経140度48分18.3秒 / 北緯40.8347639度 東経140.805083度 / 40.8347639; 140.805083
過去の名称 青森県立甲田高等学校(ただし仮称)
国公私立の別 公立学校
設置者 青森県の旗 青森県
併合学校 青森県立青森戸山高等学校
校訓 自主・礼節・友愛
設立年月日 1963年9月18日
共学・別学 男女共学
分校 平内校舎(2020年度で閉校)
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 普通科
学校コード D102210000031 ウィキデータを編集
高校コード 02103C
所在地 030-0921
青森県青森市原別三丁目1番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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青森県立青森東高等学校の位置(青森県内)
青森県立青森東高等学校

青森県立青森東高等学校(あおもりけんりつ あおもりひがしこうとうがっこう)は、青森県青森市原別三丁目にある、全日制普通科の男女共学の公立高等学校

概要

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県教委での議決当初は「青森県立甲田高等学校」という名称であったが、約数ヶ月後に校地が青森市東方に位置する青森市原別地区に決定した際に「青森県立青森東高等学校」となった。「自主」「礼節」「友愛」を校訓とする、開設以来の文武両道校であり、自由な校風を謳う。「風よはこべ」に始まる同校校歌は、木島始の作詞、間宮芳生の作曲。卒業生の進路は、国公私立大学進学が最も多い。 90年代半ばから校舎の老朽化が著しくなると共に設備も旧式化したため、2005年から新校舎の建設が始まり、2006年には陸上フィールド、ソフトボール場、ハンドボール場のあった場所に新しい校舎が完成。同年内に旧校舎は全て解体された。その際に同校の目印でもあった「赤門」も取り壊され、2007年時点、当時の面影は、旧正面の園庭(現在の校舎裏の園庭)に残す。

沿革

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  • 1963年9月18日 - 青森県教育委員会第18回臨時会において、青森県立甲田高等学校(全日制普通科)の設置を議決
  • 1963年10月10日 - 青森県議会第75回定例会において、青森県立甲田高等学校(全日制普通科)の設置を議決
  • 1964年1月10日 - 青森県教育委員会第180回定例会において、校地を青森市原別地区に決定するとともに、校名を青森県立甲田高等学校から「青森県立青森東高等学校」に変更
  • 1964年4月1日 - 青森市大字浦町字野脇341番地において開校
  • 1964年4月6日 - 仮校舎(青森市立北斗高等学校)において開校式、入学式を挙行
  • 1965年4月17日 - 青森市大字原別字遠山26番地の新校舎に移転
  • 1965年9月18日 - 校舎落成式挙行
  • 1969年4月1日 - 理数科設置
  • 1969年8月9日 - 生徒館「東朋寮」落成式挙行
  • 1973年9月18日 - 創立十周年記念式典挙行
  • 1980年4月1日 - 平内分校設置
  • 1981年4月1日 - 理数科廃止
  • 1983年4月1日 - 平内分校が青森県立平内高等学校として独立
  • 1983年9月18日 - 創立二十周年記念式典挙行
  • 1984年12月8日 - 新生徒館「東朋寮」落成式挙行
  • 1993年9月18日 - 創立三十周年記念式典挙行
  • 2004年4月1日 - 全日制普通科単位制高等学校(青森県初)へ改編
  • 2005年3月22日 - 新校舎(現在の校舎)竣工
  • 2010年4月1日 - 平内高校が青森県立青森東高等学校平内校舎となる。
  • 2013年4月1日 - 青森県立青森戸山高等学校を統合する。
  • 2021年3月 - 平内校舎を廃止[1]

出身者

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アクセス

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 高校再編で閉校 2校舎で最後の卒業式”. 東奥日報. 2021年3月11日閲覧。
  2. ^ h22/12”. 江渡聡徳 公式ホームページ (2010年12月18日). 2021年11月23日閲覧。

外部リンク

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