青森県立大湊高等学校川内校舎
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青森県立大湊高等学校川内校舎 | |
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北緯41度11分48.7秒 東経140度58分16.6秒 / 北緯41.196861度 東経140.971278度座標: 北緯41度11分48.7秒 東経140度58分16.6秒 / 北緯41.196861度 東経140.971278度 | |
過去の名称 |
青森県大湊町立大湊高等学校川内分校 青森県立大湊高等学校川内分校 青森県立川内高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 青森県 |
校訓 | 清く・豊かに・逞しく |
設立年月日 | 1948年 |
開校記念日 | 10月8日 |
閉校年月日 | 2021年3月 |
共学・別学 | 男女共学 |
本校 | 青森県立大湊高等学校 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学校コード | D102210000558 |
所在地 | 〒039-5201 |
青森県むつ市川内町家の上48番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
青森県立大湊高等学校川内校舎(あおもりけんりつ おおみなとこうとうがっこうかわうちこうしゃ, Kawauchi Branch of Aomori Prefectural Ominato High School)は、青森県むつ市川内町家の上に所在した公立の高等学校。
所在地
[編集]- 〒039-5201 青森県むつ市川内町家の上48番地
概要
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 歴史
- 1948年(昭和23年)に青森県大湊高等学校の定時制分校として設置される。1976年(昭和51年)に全日制課程に転換し、1978年(昭和53年)に「青森県立川内高等学校」として独立したが、2008年(平成20年)の統合により30年ぶりに大湊高等学校の分校となった。
- 2021年(令和3年)3月に閉校となった[1]。
- 校訓
- 清く・豊かに・逞しく
- 校章
- 3本の同心円の右上(約4分の1)にゴシックで高の字
- 校歌
- 自然環境などについて歌うが、高校名は含まれていない。
- 作詞:横浜正太 作曲:野村正憲
- 生徒会館
- 汐見ヶ丘会館 - 高校校舎が所在した高台の通称名から命名(正式な住所は家ノ上48)
沿革
[編集]- 1948年(昭和23年)10月7日 -「青森県大湊高等学校川内分校」(定時制普通課程)が設置される。
- 大湊高等学校本校・川内分校の設置者は大湊町。
- 1950年(昭和25年)1月1日 - 大湊高等学校本校が青森県に移管され、「青森県立大湊高等学校川内分校」に改称。
- ただし川内分校の設置者は大湊町のまま。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 青森県に移管され、川内分校も大湊高校本校と同じく県立となる。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 全日制課程を設置。定時制課程の募集を停止。
- 1978年(昭和53年)
- 4月1日 - 青森県立大湊高等学校より分離し、「青森県立川内高等学校」として独立。
- 11月7日 - 独立昇格記念式典を挙行。
- 1979年(昭和54年)3月31日 - 定時制課程を廃止。
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)7月2日 - 第2体育館が完成。
- 1984年(昭和59年)6月7日 - 学校林を造成。
- 1993年(平成5年)4月1日 - 情報コースを設置。
- 1999年(平成11年)3月30日 - 第1体育館を改修。
- 2002年(平成14年)3月20日 - 第2体育館を改修。
- 2003年(平成15年)12月19日 - 管理・普通教室棟の大規模改修を実施。
- 2008年(平成20年)4月1日 - 統合により、「青森県立大湊高等学校川内校舎」となる(30年ぶりに再分校化)。
- 2021年(令和3年)3月 - 閉校[1]
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b “高校再編で閉校 2校舎で最後の卒業式”. 東奥日報. (2021年3月2日). オリジナルの2021年4月14日時点におけるアーカイブ。 2021年3月11日閲覧。