飯島一郎
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飯島 一郎(いいじま いちろう、1916年11月14日 - 2007年10月7日)は、山崎製パン第2代社長。東京府北多摩郡三鷹村生まれ。
人物
[編集]1938年東京府豊島師範学校(現在の東京学芸大学)卒業、1944年東京体育専門学校(後の東京教育大学)卒業。母校の東京第二師範学校教員となる。
1948年兄が創業した山崎製パンに参画し、取締役となる。以後生産部門を担当する。兄藤十郎を含め兄弟3人でキリスト教の洗礼を受けてクリスチャンになる[1][2]。1969年から病気の兄に代わって経営の責任者となり、兄と対立するようになる。
1977年社長に就任する。同社の大株主である日清製粉(現・日清製粉グループ本社)をバックにして兄との対立を深め、お家騒動が勃発するが、日清製粉のオーナーで皇太子妃(現・上皇后)美智子の実家である正田家への飛び火を恐れた財界が事態の収拾に動き、最終的には敗北。富士銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)相談役の岩佐凱実による仲裁で代表権のない会長に退き、1979年に子会社であるヤマザキナビスコ(現・ヤマザキビスケット)社長に追いやられた[2]。
1986年退任し、以後死去までヤマザキナビスコ相談役だった。
脚注
[編集]- ^ 聖書に触れた人々No10「山崎製パンの創業者 飯島藤十郎」
- ^ a b “山崎製パン 飯島延浩社長 軍隊的な異色経営の後継者は?”. 日刊ゲンダイ (2020年5月28日). 2020年5月29日閲覧。
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