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香川俊介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

香川 俊介(かがわ しゅんすけ、1956年8月29日[1] - 2015年8月9日)は、日本の財務官僚。第11代財務事務次官東京都出身。東京大学法学部卒業。

来歴・人物

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千葉県五井町出身。

千葉大学教育学部附属中学校開成高等学校から東京大学文科一類に入学[2]東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業後[3]、1979年大蔵省入省。

1979年に大蔵省(現・財務省)に入省。1980年5月に国際金融局国際機構課。隣の席には1期下の森信親がおり、妙にウマが合ったことから、部署が離れても週1回のペースで酒を飲みに行ったり、B級グルメを食べ歩きしに行ったりしていたという[4]。1984年7月に佐久税務署長。早くから将来を羨望される「財務省のエース」と目され、1987年からは竹下内閣官房副長官小沢一郎秘書官を務め、小沢の信頼を得る[5]。長く、主計局で予算編成に携わり、主計局主計官法規課長、総務課長、主計局次長総括審議官などを経て、2010年7月30日官房長に就く。官房長を3年間続投し、在任中の2012年には自民党公明党民主党3党合意による消費税増税を柱とした社会保障と税の一体改革を推進。2014年4月の消費税率8%への引き上げに尽力した。

2013年の年明け、香川は変調をきたす。次官の真砂靖をはじめとした省幹部は、財務総合政策研究所長などの『待機ポスト』に回して治療に専念させたうえで次官への昇格を視野に入れていたが、香川はそれを断り[5]、同年7月に主計局長に就く。2014年7月から財務事務次官となる。任期は1年だったが、省内からは「大物次官」と呼ばれていた[6]2015年8月1日付でコンサルティング会社の特別顧問として迎えられる[7]。同年8月9日、食道がんのため死去[8]。58歳没。叙正四位瑞宝重光章[9]

略歴

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同期入省者

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安倍政権の下で同期から3人の次官が誕生しているほか、次官級の職である財務官人事院事務総長なども輩出している。

脚注

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  1. ^ 『現代物故者事典2015~2017』(日外アソシエーツ、2018年)p.147
  2. ^ 週刊読売 1975年4月5日号』1975年4月発行、184頁
  3. ^ a b 『東大人名録 第1部』1986年発行、99ページ
  4. ^ 兄弟以上の関係 森信親 日本経済新聞 2016年5月11日
  5. ^ a b <追悼>霞が関のスーパーエリート、財務省トップは執念の人「がん再発」香川俊介(事務次官)の選択と闘い 週刊現代 2015年5月29日閲覧
  6. ^ 接待汚職事件から権力奪還にひた走った「沈黙の軍隊」財務省 DIAMOND online 2018年4月11日 横田由美子
  7. ^ 清水真人『消費税 政と官との「十年戦争」』新潮社、2015年11月28日発行
  8. ^ 前財務次官の香川俊介さん死去 朝日新聞 2015年8月10日閲覧
  9. ^ 平成27年9月14日官報
  10. ^ 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1983年発行、497頁
  11. ^ 『大蔵要覧 昭和59年度版』1983年12月発行、26頁
  12. ^ 『議会資料,第89号』沖縄県議会事務局、2009年3月発行、41頁
官職
先代
木下康司
財務事務次官
2014年 - 2015年
次代
田中一穂
先代
木下康司
財務省主計局長
2013年 - 2014年
次代
田中一穂
先代
真砂靖
財務省大臣官房長
2010年 - 2013年
次代
佐藤慎一
先代
川北力
財務省大臣官房総括審議官
2009年 - 2010年
次代
木下康司
先代
鈴木正規
財務省主計局次長(次席)
2007年 - 2009年
次代
稲垣光隆
先代
真砂靖
財務省主計局総務課長
2004年 - 2006年
次代
稲垣光隆