駒ヶ嶺村
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こまがみねむら 駒ヶ嶺村 | |
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廃止日 | 1954年8月20日 |
廃止理由 |
新設合併 駒ヶ嶺村、新地村、福田村 → 新地村 |
現在の自治体 | 新地町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 福島県 |
郡 | 相馬郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 12.43 km2. |
総人口 |
2,862人 (国勢調査、1950年10月1日) |
隣接自治体 |
福島県: 相馬郡:新地村 相馬市 宮城県: 伊具郡、大内村 |
駒ヶ嶺村役場 | |
所在地 | 福島県相馬郡駒ヶ嶺村字新町41 |
座標 | 北緯37度50分51秒 東経140度55分00秒 / 北緯37.84742度 東経140.91664度座標: 北緯37度50分51秒 東経140度55分00秒 / 北緯37.84742度 東経140.91664度 |
ウィキプロジェクト |
駒ヶ嶺村(こまがみねむら)は、昭和29年(1954年)まで福島県相馬郡の北東部にあった村。現在の新地町駒ケ嶺にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]旧駒ヶ嶺村域は現在は福島県に所属しているが、江戸時代には新地などと共に仙台藩領であり、村内には浜通り方面における仙台藩領最南端の城砦・駒ヶ嶺城が置かれており、そのため明治初年までは北隣の宮城県亘理郡と一体に扱われていた。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、旧来の駒ヶ嶺村が単独で村制施行し宇多郡駒ヶ嶺村が発足。
- 明治29年(1897年)4月1日 - 宇多郡と行方郡が合併して相馬郡が発足。相馬郡駒ヶ嶺村となる。
- 昭和29年(1954年)8月20日 - 新地村・福田村と合併し、新制の新地村となる。
行政
[編集]首長
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 菅原道顕 | 明治22年(1889年)8月1日 | 明治26年(1893年)7月4日 | |
2 | 佐藤左右平 | 明治26年(1893年)7月5日 | 明治30年(1897年)7月4日 | |
3 | 菅原道顕 | 明治30年(1897年)7月6日 | 明治34年(1901年)7月15日 | 再任 |
4 | 佐藤左右平 | 明治35年(1902年)2月3日 | 明治38年(1905年)4月7日 | 再任 |
5 | 荒川清蔵 | 明治38年(1905年)5月3日 | 大正8年(1919年) | |
6 | 菅野亀吉 | 大正8年(1919年) | 昭和2年(1927年) | |
7 | 渡部子之助 | 昭和2年(1927年) | 昭和5年(1930年) | |
8 | 菅野亀吉 | 昭和5年(1930年) | 昭和13年(1938年) | 再任 |
9 | 大須賀純 | 昭和13年(1938年) | 昭和21年(1946年) | |
10 | 目黒捨治 | 昭和22年(1947年) | 昭和26年(1951年) | |
11 | 寺島佐平 | 昭和26年(1951年) | 昭和29年(1954年)8月19日 |
地域
[編集]人口
[編集]1920年 | 2,351人 | |
1925年 | 2,552人 | |
1930年 | 2,641人 | |
1935年 | 2,692人 | |
1940年 | 2,682人 | |
1947年 | 3,757人 | |
1950年 | 3,596人 |
※国勢調査による
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 国道
- 県道
- 県道白石中村線(現:国道113号)
参考文献
[編集]- 『新地町史』(福島県相馬郡新地町)
- 資料編(1982年)
- 自然・民俗編(1993年)
- 歴史編(1999年)