高島巌
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高島 巌(たかしま いわお、1898年4月4日 - 1976年5月8日)は、日本の社会事業家。兵庫県出身。
来歴
[編集]牧師の子として生まれる。東京聖書学院、東京学院高等学部[注 1](現・関東学院大学)を卒業後、1924年(大正13年)中央社会事業協会に入社。主事、参事になる。1937年(昭和12年)の母子保護法制定にも助力した[1][注 2]。1939年(昭和14年)、児童擁護協会常務理事に就任。
獅子文六の小説「太陽先生」のモデルともなった。
またボランティア精神の基本を説いた人物でもあり、次の言葉が知られる。
著書
[編集]- 『いのちを愛する』川島書店〈ボランティア読本3〉、1972年。ASIN B000J9NRDE。
- 『子供のことについて考えるの書』日向書房、1948年。ASIN B000JBMHDS。
- 『兒童保護施設の在り方 : 文化運動としての兒童保護事業』日本社會事業協會〈社會事業テキスト 1〉、1947年。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 今井, 小の実「覚え書き母子保護法成立までの軌跡 : 母性保護連盟の活動を追って」『大阪体育大学健康福祉学部研究紀要』創刊号、大阪体育大学、2004年3月24日、67-84頁、ISSN 1349-3280、NAID 110004683627、OCLC 836142653。
- 高島巌「愛と認識との出発 ―児童憲章(草案)第2条とその精神」第34巻第5号、1951年。
- 獅子文六(「岩田豊雄」名義)「太陽先生」、主婦之友社、1941年。
- 高島巌「母子保護法に就て」『幼兒の教育』第38巻第4号、1938年、53-62頁。