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高市屋守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高市 屋守(たけち の やもり、生没年不詳)は、奈良時代中期から後期にかけての官人官位従五位下園池正

経歴

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孝謙朝天平勝宝8歳12月(756年12月 - 757年1月)、大和国高市郡大領従七位上として、東大寺領飛騨坂所公験に署名がある[1]

その後、しばらく記録が途絶えるが、光仁朝宝亀6年(775年)正月、正六位上から従五位下に叙せられる[2]。宝亀7年(776年)3月に西市正になるが[3]、数日もしないうちに長背広足と官職を交換するかのように、園池正に就任している[4]

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『大日本古文書』廿五 - 204頁
  2. ^ 『続日本紀』巻第三十三、光仁天皇 宝亀6年正月16日条
  3. ^ 『続日本紀』巻第三十四、光仁天皇 宝亀7年3月5日条
  4. ^ 『続日本紀』巻第三十四、光仁天皇 宝亀7年3月8日条

参考文献

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