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高師久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
高師久
時代 鎌倉時代末期 - 南北朝時代
生誕 不明
死没 建武3年/延元元年6月20日1336年7月28日
官位 右衛門尉、豊前権守
幕府 室町幕府
主君 足利尊氏
氏族 高氏
父母 父:高師重
兄弟 師直師泰重茂師久
師景
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高 師久(こう の もろひさ)は、南北朝時代武将本姓高階氏高師直高師泰高重茂の弟。

生涯

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元弘4年(1334年)1月29日、鎌倉足利直義邸で行われた弓始では4番を務めて10本中9本を的中させている。この日、元号は建武に改元された。

建武の新政では豊前権守に任じられている。

建武3年(1336年)、湊川の戦い楠木正成を破った足利尊氏は、次に比叡山に籠る後醍醐天皇新田義貞延暦寺を攻めようとし、師久を西坂本の総大将に任命して大軍を派遣した。しかし、6月20日に激戦の末師久は新田軍に生け捕りとされてしまい、延暦寺の大衆に身柄を引き渡されてしまった。師久は大衆から神仏の敵であるとされ、処刑された。

なお、『太平記』では西坂本の総大将は高師重となっているが、師重は師久の父であり、書き間違いである[1]

脚注

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  1. ^ 亀田 2016, 高一族と南北朝内乱 P38、39.

参考文献

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  • 亀田俊和『高一族と南北朝内乱』戎光祥出版〈中世武士選書 32〉、2016年。ISBN 9784864031905