高師久
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時代 | 鎌倉時代末期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 建武3年/延元元年6月20日(1336年7月28日) |
官位 | 右衛門尉、豊前権守 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 足利尊氏 |
氏族 | 高氏 |
父母 | 父:高師重 |
兄弟 | 師直、師泰、重茂、師久 |
子 | 師景 |
高 師久(こう の もろひさ)は、南北朝時代の武将。本姓は高階氏。高師直、高師泰、高重茂の弟。
生涯
[編集]元弘4年(1334年)1月29日、鎌倉の足利直義邸で行われた弓始では4番を務めて10本中9本を的中させている。この日、元号は建武に改元された。
建武3年(1336年)、湊川の戦いで楠木正成を破った足利尊氏は、次に比叡山に籠る後醍醐天皇と新田義貞、延暦寺を攻めようとし、師久を西坂本の総大将に任命して大軍を派遣した。しかし、6月20日に激戦の末師久は新田軍に生け捕りとされてしまい、延暦寺の大衆に身柄を引き渡されてしまった。師久は大衆から神仏の敵であるとされ、処刑された。
なお、『太平記』では西坂本の総大将は高師重となっているが、師重は師久の父であり、書き間違いである[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 亀田俊和『高一族と南北朝内乱』戎光祥出版〈中世武士選書 32〉、2016年。ISBN 9784864031905。