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高木正恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
高木正恒
時代 江戸時代中期
生誕 正徳4年(1714年
死没 寛保3年6月4日1743年7月24日
改名 鉄之助(幼名)、正恒
戒名 法源院
墓所 東京都杉並区永福の栖岸院
官位 従五位下若狭守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
河内丹南藩
氏族 板倉氏(重昌系)、高木氏
父母 板倉重行
高木正陳
松平忠暁
正弼
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高木 正恒(たかぎ まさつね)は、江戸時代中期の大名河内国丹南藩の7代藩主。官位従五位下若狭守

略歴

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大身旗本板倉重行(4代藩主・高木正盛の三男で板倉重直の養子)の次男として誕生した。幼名は鉄之助。正室は松平忠暁の娘。

享保4年(1719年)11月2日、先代藩主・高木正陳の養嗣子となった。享保13年(1728年)2月28日、8代将軍・徳川吉宗御目見した。享保15年12月18日(1731年)、従五位下、若狭守に叙任した。寛保元年(1741年)4月2日、正陳の死去により跡を継いだ。

寛保3年(1743年)6月4日、30歳で死去した。法号は法源院。墓所は東京都杉並区永福の栖岸院。跡を長男の正弼が継いだ。