高田博愛
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高田 博愛(たかた ひろちか、1890年(明治23年)6月25日[1] - 没年不明)は、日本の実業家、鳥取県多額納税者[2][3]、地主[注 1][5]。族籍は鳥取県平民[5]。
経歴
[編集]鳥取県西伯郡県村大字福万(のち伯仙町、現・米子市)出身。高田繁太郎の二男[3]。1918年、家督を相続[3]、12代の主となる。農業[1][3][5]、金融業[6]を営む。マルタ商会代表取締役、雲陽実業銀行[3]、山陰土地各取締役[7]などをつとめる。
人物
[編集]高田博愛について、『商工資産信用録 第35回』には「職業・貸金、調査年月・1934年5月、正身身代・J、信用程度・A」とある[8]。
『商工資産信用録 第43回』には「職業・貸金、調査年月・1941年1月、正身身代・J、年扱高又は年収・U(収)、信用程度・CB」とある[9]。
貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[1]。
家族・親族
[編集]- 高田家
村内に28町歩の土地を66人に小作させた[10]。村外には約64町歩の土地があった[10]。年の小作米も3000俵といわれ、広大な邸内に米蔵が棟を並べた[10]。別に山林原野が村内に70町歩、村外にも同じ位あった[10]。戦後、農地改革によって農地は7反の保有地と1町歩の自作地に激減した[10]。屋敷の隣に製材工場を起した[10]。
- 親戚
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』鳥取県97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月3日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』58頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月3日閲覧。
- ^ a b c d e 『日本人事名鑑 昭和9年版 下卷』タ78頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月3日閲覧。
- ^ 『西伯之資力 大正11年10月調』97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月9日閲覧。
- ^ a b c 『大日本長者名鑑』中国12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月3日閲覧。
- ^ 『大日本商工録 昭和5年版』鳥取県18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月7日閲覧。
- ^ 『帝国銀行会社要録 第18版』鳥取県5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月3日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第35回』鳥取県た之部11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月3日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第43回』鳥取県タ之部12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月7日閲覧。
- ^ a b c d e f 『伯耆文化 第二』386頁。
- ^ 『島根鳥取名士列伝 中』43 - 47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月3日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第14版 上』コ93頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月3日閲覧。
- ^ 『東京紳士録 昭和44年版』733頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 深田豊市編『島根鳥取名士列伝 中』博進館、1903 - 1906年。通信社。
- 西伯の資力調査会編『西伯之資力 大正11年10月調』西伯資力調査部、1922年。
- 『大日本長者名鑑』貞文舍、1927年。
- 大日本商工会編『大日本商工録 昭和5年版』大日本商工会、1930年。
- 帝国興信所編『帝国銀行会社要録 第18版』帝国興信所、1930年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 聯合通信社編『日本人事名鑑 昭和9年版 下卷』聯合通信社、1934年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第35回』商業興信所、1934年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第43回』商業興信所、1941 - 1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 東京探偵社編『東京紳士録 昭和44年版』東京探偵社、1968年。
- 伯耆文化研究会編『伯耆文化 第二』佐藤今朝夫、1988年。