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高石かつ枝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高石 かつ枝(たかいし かつえ、1946年昭和21年)7月18日‐)は昭和期の歌手。本名伊藤 宏子(旧姓山崎 宏子)。

長男は羽田エキスパートエージェンシー代表の伊藤要[1]である。

概要

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1960年代を代表する青春歌謡歌手の一人で活動期間は1962年(昭和37年)〜1968年(昭和43年)[1]

高石のリリースした作品には、レコード会社所属時期によって特徴が見られる。コロムビア時代は戦前の歌謡曲のカバーと抒情歌的な作品、クラウン時代は青春歌謡、テイチク移籍後は脱アイドル・大人路線、といった傾向である。全期間を通じて、民謡演歌[2]コミカルソングタンゴ調の曲、青春歌謡、抒情歌等、ジャンルが多岐にわたる。全国の地名をモチーフにしたいわゆる”ご当地ソング”[3]が多かった。

高石は、一年余り遅れてデビューした本間千代子とよく対比される。だが、本業が東映女優でもあった本間が、早くからアイドル路線を確立させ若い男性中心に支持を得ていたのに対し、高石は戦前歌謡を知る年齢層をターゲットにスタートしていた[4]

なお、2010年9月に、高石、本間に加えて高田美和を含めた合同カップリングCD(詳細は後記「その後」「脚注」を参照)が発売されている。

来歴

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神奈川県横須賀市出身。

幼少の頃より童謡歌手としてテイチクで活躍し、1960年(昭和35年)より万城目正歌謡音楽院で本格的に歌謡曲を勉強した(ちなみに、万城目正は、高石のデビュー曲「旅の夜風」の作曲者である)。また、小学校5年生のとき、ある服飾雑誌の少女ファッション・モデルに応募して合格、このときの合格者の中に、小学校4年生だった和泉雅子がいたという。

1962年(昭和37年)、松竹愛染かつら」の再映画化に際し、ヒロインの名前をとった歌手「高石かつ枝」募集に合格[5]。同映画主題歌「旅の夜風」で日本コロムビアからデビュー。この後、同曲でコンビを組んだ藤原良と数枚のデュエット曲をリリースしている。

1963年(昭和38年)、白川由美主演の東宝映画「林檎の花咲く町」に女子高校生の役で出演し、人気を確立した。彼女が歌う同名の主題歌もヒットし、年末の第14回NHK紅白歌合戦に初出場した。この年、華々しくデビューした舟木一夫が学生服で出場、高石かつ枝もセーラー服で出場して話題になった[6]。 この第14回紅白は映像が現存し、高石の歌唱シーンも含め全編がNHKBS-2で再放送されている。

この年、十和田湖の乙女の像の完成にちなんで作られた詩人・佐藤春夫による「湖畔の乙女」のレコード化が10年目にして企画され、高石かつ枝によりレコーディングされた。佐藤春夫自ら指導するなど、コロムビアも力を入れた企画であったが、高石のクラウン移籍問題で中絶。その後、「湖畔の乙女」は、本間千代子によりリリースされた。又、舟木一夫とのデュエットで「東京新宿恋の町」もレコーディング予定されていたが、同移籍問題で中止となり、結局舟木一夫単独で吹込まれ1964年(昭和39年)4月コロムビアより発売されている。

1964年(昭和39年)2月、北島三郎五月みどり小林旭守屋浩らとともに新興会社・日本クラウンに引き抜かれて移籍。日本クラウン在籍の1年余の期間に16枚のシングルをリリースした。これは、同年デビューした西郷輝彦のシングル発売枚数を上回り、北島三郎と並ぶ実績である。だが、1965年(昭和40年)6月、当時政財界をゆるがせた疑獄事件吹原産業事件の渦中にあった吹原社長から自宅の提供や宝石の贈与、レコード5000枚の買い取りなどを受けていたことが発覚した。6月23日、日本クラウンは契約破棄を通告し[7][8]、高石は一時芸能活動を自粛した。

その後、テイチクに移り1965年(昭和40年)11月から1968年(昭和43年)9月にかけて十数枚のシングルをリリースした。1968年(昭和43年)、住宅設備機器メーカー(現株式会社銅富)の御曹司だった伊藤祐吉と結婚[9]、芸能界を引退した。伊藤はプロ野球の王貞治早稲田実業学校時代の同級生で、彼女のショーにゲスト出演した王の仲介があった。

長いブランクを経て、1980年(昭和55年)に「女絵」を、また、1984年(昭和59年)に中国残留孤児を歌った「風の子守唄」をコロムビアから出している。

その後

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芸能活動中断中も、萩本欽一司会の「オールスター家族対抗歌合戦」(フジテレビ系列 日曜20:00〜20:54)など、いくつかの番組にゲスト出演している。また、懐メロ番組にも何度か出演し、「旅の夜風」を霧島昇とデュエットしている(1979年7月「夏の紅白大行進」、1982年12月「年忘れにっぽんの歌」など)。

彼女が準主演してヒットした映画「林檎の花咲く町」は、DVD化されていないため視聴は難しいが[10]、2008年9月にCS放送日本映画専門チャンネルで放映された。

2010年9月17日に日本コロムビアから、「青春スター 〜ときめきのヒロイン〜 本間千代子・高石かつ枝・高田美和」が発売された。高石かつ枝の作品はコロムビア時代の40曲が収録されており、彼女初の本格CD-BOXといえる。 尚、今回のCDには、未発表作品7曲[11]が録音後47年目にして初公開されている。

主な作品

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レコード

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シングル盤

  • 「旅の夜風」「悲しき子守唄」(1962年3月、コロムビア)デュエット:藤原良(A面) 原曲は霧島昇、ミスコロムビア(1938年)
  • 「愛染夜曲」「愛染草紙」(1962年6月、コロムビア)デュエット:藤原良
  • 「乙女の夢は赤い花」「アカシヤが好き」(1962年8月、コロムビア)
  • 「あゝロマンスの夢の国」(1962年9月、コロムビア)デュエット:藤原良 A面は五月みどり、中尾渉「桑名おどり」(桑名市観光協会の委託製作)
  • 「愛はほとばしる」(1962年12月、コロムビア) B面はコロムビアローズ「お姉さん泣かないで」
  • 「純情の丘」「湖畔のホテル」(1963年1月、コロムビア) A面原曲は二葉あき子(1939年)
  • 「林檎の花咲く町」「月の十和田湖」(1963年2月、コロムビア)
  • 「日の丸あげて」(1963年2月、コロムビア)藤原良、青山和子らと A面は神戸一郎他の「日本ばんざい」
  • 「沖縄よいとこ」(1963年2月、コロムビア) デュエット:藤原良 B面は畠山みどり「糸満かもめ」
  • 「水色の風が吹く朝」(1963年3月、コロムビア) A面は藤原良「今日だけの街」
  • 「うれしい頃は花いっぱい」(1963年4月、コロムビア) B面はコロムビアローズ「誰かが呼ぶから」
  • 「オリーブの島」「この花を誰に」(1963年6月、コロムビア)
  • 海をこえて友よきたれ」(1963年6月、コロムビア) デュエット:藤原良 B面は北島三郎、畠山みどり「東京五輪音頭」
  • 「私は言うの」(1963年8月、コロムビア) A面は高木たかし「湖畔に咲いた白い花」
  • 「永良部百合の花」[12]「島はたのしや」(1963年8月、コロムビア)
  • 「悲しみのタンゴ」「小窓に咲く花」(1963年10月、コロムビア)
  • 「感傷日記」「街かどの歌」(1964年2月、コロムビア)

  - 日本クラウンへ移籍 -

  • 「花の決死隊」「おとめの像」(1964年3月、クラウン)
  • 「夢見るころ」「箱根山」 (1964年3月、クラウン)
  • 「赤いすももの歌」「リボンと花とスラックス」(1964年6月、クラウン)
  • 「旅愁の丘」「白いページの初恋日記」(1964年8月、クラウン)
  • 「若いその日がやってきた」 (1964年8月、クラウン) A面は西郷輝彦「青空の下夢がいっぱい」
  • 「てんてこママさん」「そんな朝でした」 (1964年9月、クラウン) テレビドラマ「てんてこママさん」(東京12チャンネル)主題歌
  • 「そよ風デイト」「雨の想い出」 (1964年10月、クラウン)
  • 「銀色のバレエ」(1964年11月、クラウン)(作曲,冨田勳) A面は守屋浩「スキーで行こう」
  • 「すずらんはあの時の花」「高原の人」(1964年12月、クラウン)
  • 「九十九島恋しや」(1965年1月、クラウン) A面は高木たかし「君の町」
  • 「南国エレジー」「えらぶ小唄」(1965年2月、クラウン)
  • 「としごろ」(1965年2月、クラウン) A面は柴山モモ子「娘の縁談」 日本テレビ「娘の縁談」主題歌
  • 「乙女の園よさようなら」「お姉さんママ」(1965年3月、クラウン)
  • 「スパットリンリン」(1965年3月、クラウン) 守屋浩と一緒。A面は北島三郎「スポーツ音頭」
  • 「愛し子と共に」(1965年3月、クラウン) A面は若山彰「空よりも高く」
  • 「ロバータさあ歩きましょう」「ふるさとのロバータ」(1965年7月、クラウン)

  - 吹原事件でクラウンを解雇となる -

  • 「君の名を呼ぶ」「丘の上の白い校舎」[13](1965年11月、テイチク)
  • 「涙の日記」「浪人小唄」(1966年1月、テイチク)
  • 「ここに花咲く」(1966年、テイチク) デュエット:浜田光夫 B面は浜田光夫「急げ巡航船」
  • 「大空を見つめて」「カトレアの花は咲いたけど」(1966年5月、テイチク)
  • 「日傘の中の恋人」「いつまでも愛して」(1966年6月、テイチク)
  • 「こっちを向いて」「クリスタルラブ」(1966年7月、テイチク)
  • 「ささやきのダンス」「花はふたたび」(1967年、テイチク)
  • 「二人だけの二人」「生命ある限り」(1967年2月、テイチク)
  • 「赤い灯の街角」「灯台の町」(1967年3月、テイチク)
  • 「あの人は、あの人は」「花の山脈」(1967年、テイチク)
  • 「涙を母校に」「鳩笛吹けば」(1967年4月、テイチク) デュエット:藤田功(A面)
  • 「東京駅でお別れしましょ」「さよなら桟橋」(1967年7月、テイチク) B面は日活映画「爆破3秒前」挿入歌
  • 「新大阪音頭」「そやかて好きやねん」(1967年11月、テイチク)
  • 「車いすの詩」「知らなかったわ」(1968年3月、テイチク)
  • 「あなたを求めて」「愛のめざめ」(1968年9月、テイチク)

  - 結婚により引退 -

  • 「女絵」「返してあげる」(1980年9月、コロムビア)
  • 「風の子守唄」「まごころ」(1984年8月、コロムビア)

アルバム

  • 高石かつ枝・藤原良 愛唱集「旅の夜風」(1962年11月、コロムビア)

  シングルカットされていない「純情二重奏」[14]他8曲収録

  • 高石かつ枝 愛唱集(1963年2月、コロムビア)8曲収録

  (リンゴの唄、初恋、十九の春、こでまりの花、悲しき竹笛、リンゴの花咲く町、あざみの歌、矢車草と初恋と)

  • 高石かつ枝 愛唱集 第二集(1963年、コロムビア)8曲収録

  (アカシヤが好き、水色の風が吹く朝、オリーブの島、私は言うの、うれしい頃は花一ぱい、乙女の夢は赤い花、この花を誰に、湖畔のホテル)

  • 愛唱童謡集「ゆりかごの歌」(1964年6月、クラウン)

  (ゆりかごの歌、村まつり、七つの子、どんぐりころころ、春よこい、めえめえ小山羊、うさぎ、ちょうちょう、夕やけこやけ、雀の学校、ずいずいずっころばし、チューリップ、つき、仲よし小道)

  • 高石かつ枝 花の歌謡集(1967年、テイチク)12曲収録

  (こっちを向いて、日傘の中の恋人、ここに花咲く、大空をみつめて、君の名を呼ぶ、花の山脈、ささやきのダンス、花はふたたび、カトレアの花は咲いたけど、いつまでも愛して、クリスタル・ラブ、あの人はあの人は)

その他

  • コロムビアコロシート(ソノシート)「日の丸あげて」(1963年、コロムビア)

  藤原良、青山和子、コロムビアローズと。 A面は面高陽子「バンザイ東京オリンピック」

  • クラウンミュージックグラフ(ソノシート)「かつ枝のあの頃この頃」(1964年6月、クラウン)

  シングルカットされていない「はまなす乙女」「青い星のワルツ」他8曲収録

映画

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テレビドラマ

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NHK紅白歌合戦出場歴 

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年度/放送回 曲目 対戦相手
1963年(昭和38年)/第14回 りんごの花咲く町 三浦洸一

脚注

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  1. ^ 引退後の1980年(昭和55年)と1984年(昭和59年)に各シングル盤を出しているが、何れも単発的で目立った芸能活動は行っていない。
  2. ^ 曲調や歌詞は演歌風なるも、高石の歌唱法には演歌独特の「小節(こぶし)」や「ビブラート」といった手法はさほど多く用いられず、一般の演歌歌手のイメージとはやや異なっている。
  3. ^ 特に、奄美・沖縄など琉球地方のものが多い。その他、「花の決死隊」の樺太、「ああロマンス夢の国」の三重、「林檎の花咲く町」の青森など。
  4. ^ 特にコロムビア時代は「旅の夜風」「純情の丘」などリバイバル曲のカバーが多かった。
  5. ^ もともと万城目正とのつながりがあり、公募の形態をとった出来レースとも言われている。
  6. ^ 雑誌「平凡」(昭和38年11月号)に舟木一夫と高石かつ枝の対談が掲載されている。
  7. ^ 1965年(昭和40年)6月24日付朝日新聞(夕刊)によると、彼女の父、山崎前豊氏がクラウン社に呼び出され事情を説明するも受け入れられず、機会を見て真相を一般に公表したいと言ったという。そして、同記事には、山崎氏は「親としての責任もあり、いい方へ子供を指導してやりたい。」と語り、又、高石は、出演していたテレビ番組の共演者たちから激励され、そうした人たちの力も借りて芸の道に励みたいと言った旨の記述もある。
  8. ^ 同年6月下旬から7月上旬にかけて発売された各週刊誌には、高石のクラウン解雇関係の記事が特別編集されている。(詳細は、下記関連文献参照)
  9. ^ 「ヤングレディ」43年7月15日号「高石かつ枝が青年実業家伊藤祐吉氏(27)と結婚」 "疑惑の黒い霧"も今は晴れて……恋する人の胸に!
  10. ^ 映画会社保管のフィルムを借り出して自主上映することは一般に広く行われており特記する程のことでもないが、2005年(平成17年)に同映画のモデルとなった秋田県立鷹巣農林高校(映画では「佐竹高校」)の創立96周年記念映写会にて自主上映されていることが、学校関係者のサイトに書かれている。
  11. ^ 7曲とも全て1963年に録音されたもので藤原良とのデュエットである「誰かと誰かの歌」を除き高石のソロである。  下記:「曲名」(作詞/作曲/編曲)(録音日)の順
    • 「誰かと誰かの歌」(関沢進一/戸塚延夫/松尾健司)(1月23日)
    • 「私は恋をしたのかしら」/「知らない街」(松原一郎/遠藤実/安藤実親)(2月5日)
    • 「ないしょの街角」(西沢爽/万城目正/山田宗次郎)(11月11日)
    • 「青空の天使」(西条八十/万城目正/山田宗次郎)(11月13日)
    • 「まごころの小箱」/「春の乙女」(星野哲郎/古賀政男/佐伯亮)(12月3日)
  12. ^ 沖永良部新民謡で高石の他、三界りえ子田端義夫松田一利等がレコーディングしており、第14回NHK紅白歌合戦(1963年12月31日)では朝丘雪路が同曲を歌っている。
  13. ^ 作詞:萩原四郎/ 作曲:上原賢六であるが1954年(昭和29年)に真木不二夫が歌ってヒットした「丘の上の白い校舎」(台詞:南田洋子)の作曲者は倉若晴生であった。
  14. ^ オリジナルは、1939年(昭和14年)の松竹映画「純情二重奏」の主題歌で霧島昇高峰三枝子のデュエットで歌われた。

−−14 ^2004年(平成16年)4月高石かつ枝の娘(長女)綾子芸名Aayah(アーヤ)スタンダードナンバーを中心としたジャズシンガーデビューしている。主に活躍の場は結婚式や企業のイベントなど。アメリカに在住する(次女)愛子と2012年(平成24年)iTunesよりデュエット曲「クロス・トゥ・ユー」を発売している。

関連文献

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  • 集英社 『月刊明星 昭和38年11月号』1963年11月
  • 近代映画社 『近代映画 昭和39年9月号』1964年9月
  • 平凡出版 『週刊平凡 昭和39年12月10日号』1964年12月
  • 主婦と生活社 『週刊女性 昭和40年7月7日号』1965年7月 - 本誌特報 クラウンとの契約を破棄された高石かつ枝
  • 平凡出版 『週刊平凡 昭和40年7月9日号』 1965年7月 - クラウンをクビになった18歳の純情歌手 真相と心境
  • 集英社 『週刊明星 昭和40年7月11日号』 1965年7月 - 特報  高石かつ枝の身のふり方
  • 講談社 『ヤングレディ 昭和40年7月12日号』1965年7月 - 高石かつ枝追放の真相と言い分
  • 丘灯至夫 『にっぽんの歌』 雪華社 1968年10月

関連項目

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外部リンク

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