高美以子
たか みいこ 高美以子 | |
---|---|
本名 | Miiko Shikata |
別名義 |
高美似子 ベティ・イシモト |
生年月日 | 1925年7月24日 |
没年月日 | 2023年1月4日(97歳没) |
出生地 |
アメリカ合衆国 ワシントン州シアトル |
民族 | 日系アメリカ人 |
ジャンル | 俳優 |
活動期間 | 1957年 – 1982年 |
配偶者 |
デイル・イシモト(1944年 - 1958年) レニー・ブロンドハイム(1963年 - ) |
主な作品 | |
『サヨナラ』(1957年) |
高 美以子(たか みいこ、本名:Miiko Shikata[1]、1925年7月24日[2] - 2023年1月[2])は、日系アメリカ人女優。マーロン・ブランドと共演した1957年の映画『サヨナラ』で演じた「ハナオギ」役で知られる。高美似子とも表記される[3]。
デビュー前
[編集]1925年にシアトルで生まれ、ロサンゼルス(カリフォルニア州)で育つ[4]。両親は日本からの移民で、彼女は日系アメリカ人二世である[5]。1942年に家族とともにアリゾナ州のヒラリバー戦争移住センターに収容される[6]。
『サヨナラ』
[編集]『サヨナラ』の監督ジョシュア・ローガンは、最初に「ハナオギ」役としてオファーしたオードリー・ヘプバーンに断られたことから無名の女優を起用する方針に変更する[5]。 当時ロサンゼルスの旅行会社の店員(clerk)として働いていた高が、地元の二世祭り(Nisei Festival)でタレントスカウトに見出される[4]。彼女はそれまで演技経験が全くなかったが[5]、バラエティ誌は『サヨナラ』のレビューにおいて彼女に肯定的な評価を与える[7]。ワーナー・ブラザースは『サヨナラ』での演技を評価し、彼女と長期契約を結ぶ[8]。
『サヨナラ』以降
[編集]『サヨナラ』以降も彼女は順調に様々な映画に出演し、ジェームズ・ガーナーやボブ・ホープ、ケーリー・グラント、三船敏郎と共演する。映画と並行し、三船とは1980年代のテレビシリーズ『将軍 SHŌGUN』でも共演している。また、三船や黒澤明がハリウッドを訪問した際の通訳としても働く[9][10]。
私生活
[編集]高は1944年にボルチモアで同じ日系人俳優であるデイル・イシモトと結婚[11]、息子1人と娘1人をもうけるが、1958年に離婚する[12]。
その後、1963年にテレビのニュース番組ディレクター、レニー・ブロンドハイムと再婚する[13]。
2023年1月4日に高の孫がソーシャルメディアを通じて彼女の死を公表したが、遺族の希望により、詳細は明らかにされていない[2]。
主な出演作品
[編集]制作・公開年 | 映画タイトル | 役名 | 備考 |
---|---|---|---|
1957 | サヨナラ Sayonara |
ハナオギ | 映画デビュー作。マーロン・ブランド主演 |
1960 | 戦場よ永遠に Hell to Eternity |
エスター | ジェフリー・ハンター主演 |
1961 | 嬉し泣き Cry for Happy |
チヨコ | 『サヨナラ』で共演したミヨシ・ウメキとの再共演 |
1961 | Operation Bottleneck | アリ | ロン・フォスター、ノーマン・アルデンと共にトリプル主演 |
1963 | A Global Affair | フミコ | ボブ・ホープ主演 |
1965 | 恋するパリジェンヌ The Art of Love |
シュシュ | 『サヨナラ』で共演したジェームズ・ガーナーとの再共演 |
1966 | 歩け走るな! Walk Don't Run |
クラワ・アイコ | ケーリー・グラントの最後の出演映画 |
1968 | The Power | ヴァン・ザント夫人 | ジョージ・ハミルトン主演 |
1973 | 失われた地平線 Lost Horizon |
看護師 | ピーター・フィンチ主演 |
1975 | 太陽にかける橋/ペーパー・タイガー Paper Tiger |
カゴヤマ夫人 | 三船敏郎との初共演映画 |
1978 | 私立探偵モーゼス The Big Fix |
女性販売員 | リチャード・ドレイファス主演 |
1980 | 将軍 SHŌGUN Shōgun |
桐 | 三船敏郎と再共演したテレビ・ミニシリーズ |
1982 | 最後のサムライ ザ・チャレンジ The Challenge |
ヨシダ・トオル(三船敏郎)の妻 | 現時点での最後の映画 |
出典
[編集]- ^ Makino, Jimmy. “A Japanese-American Nisei in the 20th Century”. 2012年6月20日閲覧。
- ^ a b c Barnes, Mike (2023年1月13日). “Miiko Taka, Marlon Brando’s Co-Star in ‘Sayonara,’ Dies at 97” (英語). The Hollywood Reporter 2023年1月14日閲覧。
- ^ “高美似子”. KINENOTE. 2013年3月4日閲覧。
- ^ a b Scott, John L. (May 5, 1957). “Fortune Bolt puts Miiko in Top Film Spot”. Los Angeles Times: p. E3
- ^ a b c Capote, Truman (November 9, 1957). “The Duke in His Domain”. ザ・ニューヨーカー 2007年8月9日閲覧。
- ^ “National Archives: Miiko Shikata”. 2012年6月20日閲覧。
- ^ “Sayonara”. バラエティ. (January 1, 1957) 2007年8月9日閲覧。
- ^ Scheuer, Philip K. (November 17, 1958). “Faulkner Story Lifted Off Shelf, Cycle Looms; Miiko Taka to Stay On”. Los Angeles Times. p. B7
- ^ Beyette, Beverly (August 12, 1983). “Toshiro Mifune Takes Up the Samurai Role Again”. Los Angeles Times. p. G1
- ^ Thomas, Kevin (November 28, 2002). “WORLD CINEMA; An edgy, epic collaboration; Director Akira Kurosawa and Toshiro Mifune made 16 films together; 13 will be screening at the Nuart”. Los Angeles Times. p. E16
- ^ “Actress Miiko Taka of Movies Wins Divorce”. Los Angeles Times. (November 18, 1958). p. B1
- ^ “Miiko Taka Gets Divorce”. New York Times. (November 17, 1958)
- ^ Paddleford, Clementine (November 17, 1963). “Barbecue at the Table”. Los Angeles Times
- ^ “Miiko Taka Filmography”. fandango.com. 2007年8月10日閲覧。
- ^ “Miiko Taka”. imdb.com. 2007年8月10日閲覧。
- ^ “Biography for Miiko Taka”. Turner Classic Movies. 2009年2月20日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、高美以子に関するカテゴリがあります。
- 高美以子 - allcinema
- 高美似子 - KINENOTE
- Miiko Taka - オールムービー
- Miiko Taka - IMDb
- Miiko Taka - TCM Movie Database
- Video of Miiko Taka as a presenter at an awards show - YouTube
- Trailer of Sayonara introduced by Miika Taka