高鍋町立高鍋西小学校
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高鍋町立高鍋西小学校 | |
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北緯32度8分19秒 東経131度30分11秒 / 北緯32.13861度 東経131.50306度座標: 北緯32度8分19秒 東経131度30分11秒 / 北緯32.13861度 東経131.50306度 | |
過去の名称 |
上江小学校 高鍋小学校 高鍋上江村組合小学校 高鍋尋常高等小学校 高鍋尋常小学校 上江尋常小学校 上江尋常高等小学校 上江国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宮崎県児湯郡高鍋町 |
校訓 | 「信」「愛」「和」 |
設立年月日 | 1880年(明治13年)1月29日 |
創立記念日 | 1月29日 |
分校 |
持田分校(1964年3月31日廃校) 市の山分校(1966年3月31日廃校) |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B145240115284 |
所在地 | 〒884-0006 |
宮崎県児湯郡高鍋町大字上江1951番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
高鍋町立高鍋西小学校(たかなべちょうりつ たかなべにししょうがっこう)は、宮崎県児湯郡高鍋町上江にある公立小学校である。
概要
[編集]- 生徒数:488名
- 学級数:標準17 特別支援2
(2015年8月現在)[1]
教育方針
[編集]- 校訓
- 「信」「愛」「和」
- 教育目標
- 生命の尊重を基本理念とし、地域・学校・家庭の機能を生かし、相互の連携を図りながら「たくましい体・豊かな心・すぐれた知性」をそなえた実践力・表現力のある児童の育成
- 目指す児童像
- 元気な 子ども
- やさしい子ども
- よく考える子ども
- 高鍋を大好きな子ども
沿革
[編集]- 1880年(明治13年) - 1月29日、「上江小学校」を設立。
- 1887年(明治20年) - 4月、嶋田小学校と合併し、高鍋・上江両村共立の「高鍋小学校」となる[2]。
- 1892年(明治25年) - 「高鍋上江村組合小学校」に改称[3]。
- 1893年(明治26年) - 6月、「高鍋尋常高等小学校」に改称[3]。
- 1895年(明治28年) - 4月、尋常科を「高鍋尋常小学校」に、高等科を「高鍋高等小学校」に分離[3]。
- 1893年(明治37年) - 3月10日、高鍋上江村組合が解散し[4]、平原小薄に「上江尋常小学校」を開校。清水小学校を廃し、市の山小学校を分教場とする[5]。
- 1908年(明治41年) - 4月1日、商等科を併置し、「上江尋常高等小学校」に改称[6]。
- 1909年(明治42年) - 5月21日、持田尋常小学校を廃止し、持田分教場を設置[6]。
- 1941年(昭和16年) - 4月1日、国民学校令の施行により、「上江国民学校」に改称[7]。
- 1947年(昭和22年) - 4月1日、学制改革(六・三制の実施)により、「高鍋町立高鍋西小学校」に改称。
- 1956年(昭和31年) - 10月25日、学校給食を開始。
- 1964年(昭和39年) - 3月31日、持田分校が廃校。
- 1966年(昭和41年) - 3月31日、市の山分校が廃校。
- 1967年(昭和42年) - 4月13日、特殊学級を開設。
- 1973年(昭和48年) - 3月14日、新講堂が竣工。
- 1975年(昭和50年) - 7月11日、新プールが竣工。
- 1991年(平成3年) - 3月20日、110周年記念事業として「みどりの教室」が竣工。
交通
[編集]周辺
[編集]著名な出身者
[編集]- かみちぃ(ジェラードン)