鳥居忠博
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鳥居 忠博(とりい ただひろ、1897年(明治30年)11月28日[1] - 1976年(昭和51年)3月25日[1][2])は、大正から昭和期の実業家・政治家・華族。貴族院子爵議員。
経歴
[編集]旧壬生藩主、子爵・鳥居忠文の五男として生まれ、長兄鳥居忠一が京王線に衝突した自動車事故で死去したことで、1939年(昭和14年)2月15日、子爵を襲爵した[1][3][4][5]。
学習院を経て[4]、1923年(大正12年)東京帝国大学経済学部を卒業[2][3]。三井物産に入社。三洞運輸監査役などを務めた[2][3]。
1946年(昭和21年)8月22日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6]、研究会に属して活動し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
[編集]- 母 嶺子(藪実方二女)[1][4]
- 先妻 小松(本田親済長女、離縁)[1]
- 後妻 福子(よしこ、菊亭公長長女)・菊(和田連治郎三女)[1]
- 養子 信通(鷹司信熙三男、離縁)[1]
- 養子 明(菊養子、川島米太郎四男)[1]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 鳥居忠一 |
子爵 (壬生)鳥居家第3代 1939年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |