鶴田町立野木小学校
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鶴田町立野木小学校 | |
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過去の名称 |
野木小学 野木簡易小学校 野木尋常小学校 水元尋常高等小学校野木分教場 水元国民学校野木分教場 水元村立水元小学校野木分校 水元村立野木小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 鶴田町 |
設立年月日 | 1868年6月 |
閉校年月日 | 1986年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒038-35 |
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鶴田町立野木小学校(つるたちょうりつ のぎしょうがっこう)は、青森県北津軽郡鶴田町大字野木にあった公立小学校。
沿革
[編集]- 1872年(明治5年)6月[1] - 野木村にあった竹内俊治の寺子屋の建物12坪(約40平方メートル)を、そのまま校舎に充て、野木小学開校。
- 1879年(明治12年)8月 - 浄林寺境内に移転。
- 1886年(明治19年) - 野木簡易小学校と改称。木筒小学を併合し、木筒分校設置。
- 1889年(明治22年)2月 - 字東松虫40番地に移転。
- 1892年(明治25年)1月 - 野木尋常小学校と改称。
- 1901年(明治34年)10月 - 字東松虫80番地に2階建校舎新築(階下教室1・控所・職員住宅・階上職員室・住宅1部屋)落成し、移転。総工費83円50銭は、学区の寄付。
- 1904年(明治37年)4月 - 木筒分教場が独立し、木筒尋常小学校となる。
- 1905年(明治38年)4月 - 字西松虫53番の内2号地に移転。
- 1910年(明治43年)4月1日 - 水元尋常高等小学校の分教場となる。
- 1916年(大正5年)4月 - 間山地区児童本校引揚。
- 1921年(大正10年)1月27日 - 字西松虫53番2号地に12アールの土地を購入し、移転。
- 1936年(昭和11年)4月 - 校地100坪(330平方メートル)を購入し、体操場・児童昇降口・物置を増築。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、水元国民学校野木分教場と改称。
- 1945年(昭和20年)10月 - 1学級増につき、体操場を仕切り、普通教室に改造。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、水元村立水元小学校野木分校と改称。
- 1948年(昭和23年)
- 1950年(昭和25年)12月 - 職員室・玄関・職員住宅増改築。
- 1951年(昭和26年)
- 1955年(昭和30年)
- 1957年(昭和32年)11月 - 校門及びブロック塀18メートル竣成。
- 1959年(昭和34年)4月 - 学級増認可され、1教室不足につき、職員室を教室に、職員住宅を職員室に改装。さらに、旧校舎の教室を12坪に縮小し、屋内体操場8坪(約26平方メートル)拡張。
- 1963年(昭和38年)1月 - 創立90周年記念式典挙行。
- 1966年(昭和41年)4月 - 図書室と昇降口改築。
- 1967年(昭和42年)8月 - 体操場床板改修。
- 1969年(昭和44年)10月 - 校舎北側側溝工事完成。雲梯・体操場演壇設備。
- 1972年(昭和47年)
- 1986年(昭和61年)4月1日 - 本校と木筒小学校が統合した富士見小学校開校により、閉校。
学区
[編集]- 鶴田町野木地区
周辺
[編集]- 青森県道200号米山菖蒲川線
- 青森県道37号弘前柏線
- 他は、住宅や田畑のみ。
脚注
[編集]- ^ 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)には、「本校設立が明治9年1月、竹内俊吉所有の民家を借用」と記載。
参考資料
[編集]- 1986年3月の閉校の記載を除く
- 『鶴田町史 下巻』(鶴田町・1979年3月31日発行)「第十一章 教育・第三節 各学校・五 野木小学校」
- 463頁「1 沿革概要」
- 466頁~468頁「2 施設・設備・主要行事等」
- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 小学校」
- 804頁「野木小学校」
- 803頁「水元小学校」