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鶴田町立木筒小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鶴田町立木筒小学校
過去の名称 木筒小学
野木尋常小学校木筒分校
木筒尋常小学校
水元尋常高等小学校木筒分教場
水元国民学校木筒分教場
水元村立水元小学校木筒分校
水元村立木筒小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 鶴田町
設立年月日 1876年9月24日(創設)
1892年(再設)
閉校年月日 1986年3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 038-35
青森県北津軽郡鶴田町大字木筒西柳川70番4号
外部リンク 閉校時点でホームページ開設無し
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鶴田町立木筒小学校(つるたちょうりつ きづつしょうがっこう)は、青森県北津軽郡鶴田町大字木筒にあった公立小学校

沿革

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  • 1876年明治9年)9月24日 - 木筒村2番地にあった永澤得右衛門の寺子屋を校舎に充て、木筒小学として開校[1]
  • 1886年(明治19年) - 野木簡易小学校に併合され、閉校[1]
  • 1892年(明治25年) - 野木尋常小学校木筒分校として再開[1]
  • 1893年(明治26年)5月 - 教員住宅6坪(約20)増築[1]
  • 1895年(明治28年)6月 - 薪炭小屋及び井戸小屋を教室に接し、増築[1]
  • 1898年(明治31年) - 教室が狭隘となり、教員住宅4.5坪(約15㎡)を縮小し、教室を拡張。新たに、階上・階下に各4.5坪の2室と住宅増築[1]
  • 1901年(明治34年)9月 - 教室及び児童控所として、30坪(約99㎡)増築[1]
  • 1904年(明治37年)4月1日 - 木筒尋常小学校として、独立昇格[1]
  • 1910年(明治43年)4月 - 第4学年まで収容の水元尋常高等小学校木筒分教場と改称[1]
  • 1918年大正8年)8月 - 教員住宅を改築[1]
  • 1926年(大正15年)6月 - 亜鉛板にて、校舎屋根葺替え工事完了[1]
  • 1927年昭和2年)8月 - 木炭小屋及び便所を改築[1]
  • 1936年(昭和11年) - 本校の古材料を利用し、22坪(約72.6㎡)の教室と6坪(約20㎡)の教員住宅を増改築[1]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、水元国民学校木筒分教場と改称[1]
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、水元村立水元小学校木筒分校と改称[2]
  • 1948年(昭和23年) - 普通教室4室・職員室・裁縫教室・物置・便所新築[1]
  • 1949年(昭和24年)1月 - 第5学年児童が、本校より引き揚げ、授業[1]
  • 1950年(昭和25年)
    • 4月 - 水元村立木筒小学校として、独立昇格[1]
    • 時期不明 - 児童昇降口、水飲場増改築[1]
    • 10月 - 校地内に教員住宅1棟新築[1]
  • 1953年(昭和28年)3月 - 校地拡張[1]
  • 1945年(昭和20年)10月 - 1学級増につき、体操場を仕切り、普通教室に改造[1]
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、水元村立水元小学校野木分校と改称[1]
  • 1948年(昭和23年)
    • 7月 - 校地90坪(297平方メートル)拡張[1]
  • 1955年(昭和30年)3月1日 - 水元村の鶴田町への合併により、鶴田町立木筒小学校と改称[2]
  • 1956年(昭和31年)4月 - 教室を縮小し、体操場を拡張[1]
  • 1957年(昭和32年)
    • 4月 - 裁縫室を図書室に改装[1]
    • 12月 - 簡易水道敷設[1]
  • 1958年(昭和33年)11月 - 学校用電話架設[1]
  • 1959年(昭和34年)4月 - 1教室増により、図書室を普通教室に改装[1]
  • 1961年(昭和36年)10月 - 2階建校舎の南側に隣接して6坪(約20㎡)の薪炭小屋増築。字西柳川70番3号の地50坪(約165㎡)及び字西柳川70番2号の地57.25坪(約190㎡)を購入し、校地拡張[1]
  • 1962年(昭和37年)12月 - 母親による味噌󠄀汁給食実施[1]
  • 1963年(昭和38年)10月 - 水元農業貯蓄協力校のかどにより、テレビが寄贈される[1]
  • 1965年(昭和40年)
  • 1966年(昭和41年)9月10日 - 創立90周年記念式典挙行。協賛会校歌校章制定し、ピアノ寄贈[1]
  • 1967年(昭和42年)12月 - 豊作文庫購入[1]
  • 1968年(昭和43年)
    • 4月6日 - 全教室耐火ボード・廊下・便所を化粧ベニヤで改装[1]
    • 4月25日 - ストーブマツを学区内に300本配布植栽[1]
    • 5月10日 - 鶴田町学校給食センター竣工し、完全給食実施[1]
    • 5月23日 - 非常階段改造[1]
    • 11月4日 - 下水工事竣工。桜井陽氏(本校卒・ブラジル在住)より、蝶の額と化石1個が寄贈された[1]
  • 1969年(昭和44年)
    • 5月6日 - 北側階上・階下2教室4坪(約13㎡)を南隣の教室に移動し、間仕切りし、職員室を旧校舎教室に移転[1]
    • 5月22日 - 扉付下足箱に改装[1]
    • 6月2日 - 住宅を家庭科及び休養室に改装[1]
    • 9月6日 - 全学区民、水泳プール建設資金調達草苅に出動[1]
  • 1970年(昭和45年)
  • 1971年(昭和46年)
  • 1972年(昭和47年)
  • 1986年(昭和61年)4月1日 - 本校と野木小学校が統合した富士見小学校開校により、閉校。

学区

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  • 鶴田町木筒地区

進学先中学校

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周辺

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アクセス

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閉校時点のデータ

その他

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  • 校門があった場所には、閉校記念碑が建立されている。

参考資料

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1986年3月の閉校の記載を除く
  • 『鶴田町史 下巻』(鶴田町・1979年3月31日発行)「第十一章 教育・第三節 各学校・六 木筒小学校」
    • 471頁〜472頁「1 沿革概要」
    • 472頁~477頁「2 施設・設備・主要行事等」
  • 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 小学校」803頁「水元小学校」

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf 『鶴田町史 下巻』(鶴田町・1979年3月31日発行)「第十一章 教育・第三節 各学校・六 木筒小学校」
  2. ^ a b 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 小学校」803頁「水元小学校」

関連項目

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