黒川照家
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黒川 照家(くろかわ みつや、1951年9月18日 - 2020年6月6日)は、日本の音楽家。元「1986オメガトライブ」のギタリスト。本名、黒川 光哉(読み同じ)。
経歴・人物
[編集]1977年、アマチュアバンド「リバーサイド」で『EAST WEST '77』に出場、同バンドは準優勝を果たした(同じく準優勝をしたのがカシオペアだった)。
1979年から1985年にかけて岩崎宏美や菊池桃子のバックバンド「パイナップル・カンパニー」でバンドマスターとして活動した後、1986年にオメガトライブの第2弾のプロジェクト「1986オメガトライブ」にギタリストとして加入。同バンドのリーダーも務めたが、5枚目のシングル「Stay girl Stay pure」を最後に脱退を宣言、1988年3月に正式に脱退した(これを機に同バンドは「カルロス・トシキ&オメガトライブ」に改名する)。
その後は体調不良から長期間音楽活動を休止していたものの、2007年に活動を再開する。
再開後はソロでのライブ活動をする傍ら、新井正人とのジョイントライブやKEICOのサポート活動など多方面で活動していた。
作曲した楽曲
[編集]- interstate(1987年7月15日)
脚注
[編集]- ^ “TAROs 公式Twitter” (2020年6月8日). 2020年6月9日閲覧。