齊藤隆 (政治家)
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齊藤 隆 さいとう たかし | |
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生年月日 | 1964年3月8日 |
出生地 | 千葉県山武郡横芝町横芝 |
没年月日 | 2012年2月6日(47歳没) |
死没地 | 千葉県山武郡横芝光町横芝 |
出身校 | 千葉県立農業大学校 |
前職 | 町議会議員 |
所属政党 | 無所属 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2010年4月23日 - 2012年2月5日 |
齊藤 隆(さいとう たかし、1964年3月8日[1] - 2012年2月6日[2])は、日本の政治家。元千葉県横芝光町長。
人物
[編集]千葉県立旭農業高等学校、千葉県立農業大学校本科・研究科卒業[1]。
大学校卒業後の1986年にカネコ種苗へ入社したのち、1996年7月よりブドウ園[3]の齊藤果樹園を経営[1]。
2003年5月に山武郡横芝町議会議員に初当選[1][3]。匝瑳郡光町との合併後、山武郡横芝光町議会議員も2007年3月より一期務めた[1]。
2010年4月に町長選挙に出馬。前年より再選準備を進めてきた現職の佐藤晴彦に対し、告示1か月前の表明と出遅れたが、光町の元町長・斎藤譲ら旧光町の有力者の支持を背景に旧光町の住民からの票を集め、また、合併後の町政運営の是非を問いたことで批判票をも取り込んだ[4]。旧町同士の争いの側面が色濃く出て、結果的に現職の佐藤を破り、山武郡横芝光町の第2代町長に就任した[5]。
2012年2月6日午前1時25分頃、齊藤の妻が「夫が暴れている」と119番通報。齊藤は自宅で暴れるなどしたのちに、カッターナイフを持って自宅東側を流れる栗山川に身投げし、父親からの制止を振り切り、カッターナイフで自らの首を何度も切り付けた。病院に搬送されたが、午前4時5分、死亡が確認された。死因は失血か低体温症と見られる[6][7][8]。齊藤の死後、横芝光町長は佐藤が再任している。
出典
[編集]- ^ a b c d e “プロフィール”. 町政の運営. 横芝光町. 2012年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月23日閲覧。
- ^ “町長室”. 町政の運営. 横芝光町. 2012年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月23日閲覧。
- ^ a b “広報 よこしば 平成15年 6月号 No.465”. 横芝町 総務課. p. 3 (2003年6月1日). 2022年4月23日閲覧。
- ^ “旧町同士の争いの面も 横芝光町長選”. 千葉日報. (2010年4月20日) 2022年4月23日閲覧。
- ^ “横芝光町長選挙 - 2010年04月18日投票 | 千葉県横芝光町”. 選挙ドットコム. 2022年4月23日閲覧。
- ^ “合併2町の狭間で苦悩? PCB施設めぐり紛糾も 横芝光町長、突然の自殺”. 千葉日報. (2012年2月20日) 2022年4月23日閲覧。
- ^ “千葉・横芝光町長、自殺か 搬送先で死亡”. 日本経済新聞. (2012年2月6日) 2022年4月23日閲覧。
- ^ “千葉・横芝光町長が死亡 暴れて川に入り自殺か”. 朝日新聞. (2012年2月6日). オリジナルの2012年2月6日時点におけるアーカイブ。 2022年4月23日閲覧。